私の友人が最近の株式市場の上がったり下がったりで、ああでもないこうでもないって
ウルセーんですよ。そんなに喚いてるなら株なんて辞めて競馬でもやってりゃ良いのにって
思いますが、株式なんて上がるのと下がるのを繰り返すんだから
何だって良いじゃないですか。(実際に売買してる人はそうも言ってられない?)
海に行って波の強さとか潮の満ち引きに向かって
「海のバカヤロー」って叫んだって
何も変わりませんよね。
あらゆるものはちっぽけな自我なんかでコントロールなど出来ないのですよ、
株が爆下げして安倍のバカヤローって言ってるのと、波でコケて海のバカヤローって
言ってるのと、信号渡ろうとしたら車にクラクション鳴らされて車のバカヤローって
騒いでるのは皆同じです。
株が下がったのも、波が来たのも、信号渡ろうとしたら車が来たのも、
理由など不明です。そりゃ色々理由付けは出来るでしょうが、
理由付けした所で
何だと言うのでしょうか。理由付けしてああでもないこうでもないと、他人と「知的なゲーム」を
楽しむ事は出来ますが、あまりにゲームに熱くなり過ぎて他人を攻撃したりするのは、
難しいゲームをやっててファミコンに怒りの鉄拳を喰らわす小学生と同じです。
ちなみに私はガキの頃に、これでドラクエ3の冒険の書消しました。
この前も書きましたが、まず熟睡している時のように自我を静めるべきであります。
自我が静まるという事は、あらゆるものを区別しなくなります。
自我とは
「私と、私以外」を分離させる事で生じるわけで、自我の働きが弱くなると
「私と、私以外」は消えていきます。まあこれは文章で説明するより、
熟睡している時に
「私と、私以外」を見出す事は出来るか?って事ですね、当然ながら見出す事は出来ません。
この時点で「私と、私以外」が無くなるので「全てが私」となります。
「全てが私」とは、イメージとしては
遥か上空から下界を眺めているようなものです。
上空に居れば、分かれ道でもなんでもどちらがどう繋がっているのか一目瞭然であります。
つまり分かれ道でどちらを選ぶかというスリルも無ければ正解を達成した喜びも無い、
「選ぶ者」が居ないのだから分かれ道を選んだ結果を気にする者も居ない。
上空から見ているのだから分かれ道が分かれ道になっていない、言い換えれば
Aという道を歩く事と、Bという道を歩く事自体が同時に在る状態とも言えます。
例えて言うと、
自我というものは直線運動か、あるいは同じ場所をグルグル回る円運動しか
出来ないのです。自我を離れていくと、今度は上へ上へと昇っていくようになるのであります。
まずは上へ飛んで飛んで飛んで、それから回って自他の境界が無くなるのであります。
まあ別に回る必要は無いんですけど、今回のタイトルがタイトルなだけに
飛んだ後は回らないとね。
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