何度も書いてますけど、自我は自由意志があると感じていますが
実際は自由意志は無いし、何が起こるかも
全て確定済みであります。
しかし、
同時にとてつもなく自由でもあります。
これはコップの中の水をイメージするとわかりやすいと思います。
コップの中の水はある時は波打ち、ある時は渦になり、ある時は泡立ったりします、
つまりどんな形にもなれるのであります。
しかしながら、やはり
水は水であるという事から一歩も抜け出る事は
出来ないのも事実であります。
コップの中の水である以上、水が取りうる形態(?)みたいのは
全て確定されております。
これは自由意志が無い事を示すと同時に、時間も存在しない事も
意味します。
コップの中の水は様々な形になれますが、様々な形も、やはりコップの中の水と
して在る以上、同時に存在しているのであります。
つまりあらゆる世界は
複数形ではなく、同時に存在しているのです。
複数という概念自体が無くなると、逆説的ですが単独という概念も消えます。
あらゆる世界が己の中に在る、という事はもはや一つの世界に固執して
ああでもないこうでもないと喚いている自我も消えていくという事です。
コップの中の水が、水であることをやめられないように、
我々も最初から”在る”事はやめられないのであります。
様々なメソッドや試みは、全て”水であること”をやめようとする行為です。
”やめようとしている”事に気付けるのが最大のメリットであって、
それ以外は大した意味を持ちません。
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