常にああでもないこうでもないと叫んでいるのは自我であって
その叫びを押さえ込もうとしても不可能です、
そもそも押さえ込む必要があるのでしょうか。
例えば
俺は貧乏で女にも縁が無くてしかも不細工だ、と
自我が叫んでいるとします。
これを押さえ込むために祈ったり踊ったりしても
ますます叫びは強くなるでしょう。
それならば
認めてしまえば良いではないですか。
認めた所で、何か困った事が起きるでしょうか。
何も起きるわけ無いのです。
何も起きないという事は、何かしら危害を加えられる対象など
最初から居なかった、という事です。
自分の影を追いかけて押さえ込もうとしても、影は捕まえられません。
影を押さえるならその場で自分自身を抱き締めれば良いのであります。
つまり自我の叫びがうるさいならさっさと認めてしまえば良く、
認めた所で何も起きないのですから、どんどん認めて
”終わらせて”しまえば良いのです。
自分はトンデモない馬鹿だとか不細工だと自我が言うなら、
認めてしまえば良いではないですか。
”それは違う!”とか喚くからいつまで経っても捕まらない影を
追い続けるのであります。まさに終わらない一人相撲です。
大体、それは違うと否定した所で何だってんですか、
否定しないとブッ飛ばされるとかあるんですか。
何も起きないし危害を加えられる対象も居ないのに、
何故か必死に否定しようとする異常さに気付くべきであります。
PR