「様々なメソッドや瞑想を行っていますが、一時的に気分が良くなるだけで
長続きしません」というメールを頂いたんですが、瞑想は詳しくないので置いといて、
大体スピリチュアルな教えに基づく修行とかメソッドって、気分が良くなったり
心が落ち着くとかを目指す方向のモノが多いのであります。
この
「気分が良い、落ち着く、快感、ハイになる」を求め出すと厄介で、
それは単なる状態であってそれ以外の何者でもありません。
しかし、何故かそれらの状態になると良いとされる傾向があるので
何となくそれらの感覚が出てくればOK的な感じになりがちなので
あります。
だいぶ前の記事にも書いた記憶がありますが、
結局の所
あらゆるメソッドは抵抗であります。
「心を観察して落ち着きました」「幸せな気分を味わいました」とか
色々あると思いますが、
その状態(落ち着いたとか)を認識しているのと、
その状態そのものになるのとは雲泥の差なのであります。
神とか宇宙とか高次元とかすき家の意志とか色々言われていますが、
我々の背景に存在するそれらの力(?)を妨げるのは、結局我々の
様々な試みなのです。
厨二的表現ですが、我々の
様々な試みの果てに待ち受けるのは、
我々自身の神と戦う事なのであります。
つまりいかに心が落ち着こうが幸せになろうが号泣しようが、
あらゆる試みの果てに行き着いたのなら、それは全て形を変えた
抵抗なのであります。
肝心なのはいかに己が神に抵抗しているか知るという事であり、
問題は心が落ち着いたとか幸せだとかを、抵抗と認識せずにいる事であります。
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