最近、某コンビニのフォアグラ弁当に対してシーシェパードみたいな人たち(?)が
抗議してフォアグラ弁当が中止になったそうですね。
動物の命がどうのこうの言う前に、
そもそも命とかってあるんでしょうか。例えばウナギだのマグロだのの養殖に成功!世界初!とか、たまにニュースで
やってますが、この養殖された魚は確実に人間のごはんであって、
早い話がごはんが泳いでいるだけとも言えます。
同じように高価な松坂牛とかも、ごはんが歩いているだけであります。
ごはんが泳いだり歩いたりすれば、それは命なんでしょうか。
いつものように話を強引にスピ系に持っていくと、
結局は
命という概念自体が幻なんですね。
本質的に全てのものはクラウド上のデータみたいなモンで、
ゲームで言えばゲームのキャラがディスプレイに映し出される事で
初めてゲーム上の「命」あるキャラとして登場します。
それ以外にもそのキャラがキャラとして成り立つにはその他のデータ、
仮にドラクエなら「バラモスがあらわれた!」というメッセージと、
戦闘の音楽と、バラモスのグラフィックがあって
初めてバラモスはバラモスという見せ掛けの命を得るのであります。
つまりクラウド上のデータが
様々な要素を被って”擬態”しているだけなのです。データ自体は擬態しなければ知覚も出来ないし体感する事も
出来ません。しかしながらデータは
常に”在る”状態なのです。
ですから全ては一つであって、生きてもいないし死んでもいないのです。
バラモスは倒されてもデータとして
”在り続ける”のであります。
データが様々な要素を被って見えるように擬態しただけの
バラモスを倒した所でバラモスが滅んだわけではなく、
元の見えない状態に戻っただけです。
バラモスの
命なんてものは無いし、命を奪ったものも居ません。話を戻すと、全ての生物は生物として見る事が出来ますが、
生物に生命は宿ってはいないのであります。
もちろん私にもあなたにも生命なんてありません、生命があるように
振る舞ってはいるでしょうけど。それはゲーム上のバラモスが
呪文を唱えたり火を吹いたりして命があるように動いているのと
本質的に何ら変わりはありません。
まあ何を言いたかったかというと、
私はフォアグラ弁当食べたかった、という事ですね。
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