戦争や病気という概念、あるいは特定の思考や感情を抑えたりしようとするのは
簡単に言えば
ある一定のラインを引き、ここから内側は自分であり、
俺の縄張りだと無意識に決めているからです。
例えば過去のトラウマがあるとして、トラウマが思い出されると
それ(トラウマ)を忘れよう、打ち消そうとするのは、
トラウマが一定のライン以上に侵入してくる感(?)みたいなのが
あるからであります。
しかし、侵入してきたからと言って、特に何も起きないのが実情です。
つまり最初から自分と思っていたものは存在しないのですが、
わざわざ一定のラインを引く事で擬似的な自分を創っていたのです。
侵入者を追い出したり手なづけるよりも、自分で引いたラインを消せば
侵入者は侵入者でいられなくなります。
つまり
あるべきものが普通にあるだけが本来の状態であります。
カッコつけて言うなら、自然に汚い山も綺麗な山も、危険な川も安全な川も
無いのと同じです。山は山であり、川は川として明確に在るのです。
もう少しわかりやすく言うと、例えばお金が無い事でいつも何かを
我慢しているとします。
「お金が無いと死ぬ」とか「将来が不安」とか色々な思考が出てきて
いるのかもしれませんが、それらの思考を打ち消そうとしてもダメです、
打ち消すという事は
”縄張り”を引いてしまっています。
それらの思考が侵入してきても良いのです。
別にそれらの思考を認めた瞬間に爆発したり蒸発したりはしません、
何も起こらないのです。
何も起こらないという事は、つまり侵入されて困る者など何処にも
居なかったという事なのであります。
大体どれぐらいの
”縄張り意識”があるかはどういった言葉や思考に
反応するかでわかります。
「金が無いと将来が不安」という思考に入ってきて欲しくない、嫌だと
感じるなら、「金が無いと将来が不安」である事を、縄張りを持つ事で
認めているわけですから、やはりずっと不安なままですし、不安になる事が
多くなるでしょう。
ですから縄張りを持つのではなく、受け入れてしまうのです。
全てを受け入れれば受け入れるほど、世界は己の内側で展開している事を
認識出来ます。
そして結局、山は山であり、川は川である事を改めて知るのであります。
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