仮に
「今後10年以内に必ず大きな地震や
大規模な戦争が起こる」と書くと、
「どうすれば良いのか」とか「世界を変えるには
人類の集合意識がうんたらかんたら」とか、
大騒ぎする人が多いと思われます。
しかしこれが
「今後10年以内にどっかでコケて
膝を擦りむく」だと、恐らく誰も
反応しないでしょう。
地震や戦争だと大騒ぎして、どっかでコケて
軽く怪我するよって内容だと騒がないのは、
結局は全て自我の妄想なのです。
何か地震や戦争だと抵抗する事の出来ない
大きな力が襲いかかってくるような妄想に
とらわれているのであります、
しかしどっかでコケるであろうという事に
対して特に何も感じないという事は、
自我の中での線引きに従ってしまっている
だけなのです。
これはお金とかでも同じで、
「あなたは明日10円落とすであろう」だと
次の日には忘れてますが、
「あなたは明日
10万円ほどドブに落とすであろう」だと
かなり心配する人も多いと思われます。
結局、
"守らなければならない何か"を
常に感じているのです。
しかし、そんなものは存在しません。
守らなければならない何かは在る、と
言うなら、試しに瞑想しながら世界中の
不幸と怪我と致死性の病気が全て
自分の中に入ってくると強く感じてみましょう。
世界中の不幸と怪我と病気が入ってくるのですから、
あなたは即死するはずであります。
しかし残念ながら即死はしないでしょう、
あなたなど存在しないからです。
つまりどんなに強くポジティブを念じようが
ネガティブを念じようが、念じる力には
何の効果もありません。
効果を及ぼす対象が最初から居ないからです。
ですから地震や戦争を防ごうと色々試しても、
全ては無駄に終わるでしょう。
この前も書きましたが、あなたは何かを
念じて何かを起こす者ではありません。
それら全てを抱擁している者であります。
なので何の不自由も不幸も最初から無いのです。
ここで初めて自分が
明晰夢の中に居る事を
知るのであります。そして明晰夢の中にいる自分すら、
居ないのです。
何故なら明晰夢の中で歩いたり走ったりしても、明晰夢が終われば歩いたり走ったりしていた自分は居なくなるからです。
こうして世界は何不自由無く、
何もしない事がわかりました。
おめでとうございます。
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