度々書いていますが、自由意志はあるように感じますが
実際は無いものです。
例えば、この前スパ銭(スーパー銭湯)行ったんですけど、
スパ銭の建物に入った瞬間に、風呂の入り口に向かって
歩くしか無いわけで、そこに自由意志はありません。
自分の意志で歩いていると思いがちですが、結局は
風呂屋の建物に
全て支配されているのであります。
普段の感情や思考もこれと同じで、過去のトラウマか何か知りませんが
やはり「何か」に支配されているのです。
「私は病気だ」という思いにしがみつけば、あらゆる行為や言動、
感情や思考が「病気だ」という「建物」に支配されます。
ですから
自らが作った建物の中に居るのだと知る事であります。
これをロケットで突き抜けると
「私もあなたも居ない」高次元存在に
なってしまうのですが、それは置いといて、結局全ては自分が居る
建物に在るのです。
そしてその建物が風呂屋なのか、飲食店なのかを決めているのは
思考や感情であります。
すき家に入ってどうして寿司が出てこないんだと喚いても、
すき家は牛丼チェーンなので、客がいくらポジティブに
なろうが愛を送ろうがネガティブになろうが寿司は出てこないのです。
すき家のバイトの皆さんは自由意志を持って働いているように
見えますが、出来ることは牛丼とカレーを出すことぐらいなのです。
それ以外の行為はありえないのです。
ですから寿司が食いたいならすき家を出て、小僧寿司か
とんでんとか華屋与兵衛とかの和食の店に行けば良いのであります。
ところが何故か
すき家で寿司を食うことに執着するのです。
これでは単なる頭のおかしいクレーマーです。
以前、
「願望が実現しても喜ぶ者は居ない」と書きましたが、
すき家で無理矢理バイトに寿司を握らせたら、達成感やある種の感動が
あるかもしれません。しかし小僧寿司で寿司が出てきて
いちいち感動してたらこれもまた、頭のおかしな人です。
喜ぶ者が居ない、とはそういう事であります。
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