スピ系の書籍とかで
集合意識がどうのこうのという記述が
結構あるそうですね。
著者がどういった意味合いで集合意識という言葉を使っているのか
わからないのですが、個人的には集合意識とかって別に気にするものでは
無いと思います。
集合意識で何かが決まる事とかは無いでしょう。
多数決みたいな感じで決まるなら、昔の王貞治とかゴジラ松井が
阪神ファンしか居ない甲子園でバカスカホームランを打つわけが
ありません。
そもそも集合意識とは、人間でも何でも良いですが、
何か特定のモノがたくさん居るという前提であります。
しかし、鳥かごの中の鳥や、水槽の中の魚を複数のカメラで別アングルで
撮ると、カメラの映像では鳥や魚が複数居るかのように見えるのと
同じで、結局人間の意識も複数あるかのように感じるだけで
本質的には一つだと思います。
夢の中の登場人物が意識を持って活動しているかのように見えても、
実際は眠りというバックグラウンドに統一されているわけですし。
もっと言えば最近のオープンワールドゲームとかMMOって、
ゲームの中にまさにもう一つの世界が存在すると言っても過言じゃない
レベルですけど、結局ゲームのキャラはプログラミング通りにしか
動かないし、自分が操作しているキャラもプログラミングされている
動作以外はしないわけです。
結局はどんな凄いゲームもプログラミングというバックグラウンドに
統一されています。
ですから集合意識どうのこうのって意味を成さないと思います、
強いて言えば統一意識とでもいうものが在るだけじゃないでしょうか。
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