基本的に自我は必ず
否定から入るという習性みたいのがあります。
というか否定が実現してくれないと、人生というゲームから
プレイヤーが
居なくなってしまうので、自我は存亡を賭けて否定の実現に勤しみます。
仮に「何かやりたい」と思っても、必ず金が無いとか歳をとりすぎたとか
自我は「納得」に値する理由を持ち出して来ますよね。
まあこれは
自我が自我を納得させるという一人芝居なんですが。
で、ここで普通の人は、まあそれもそうだなと思って諦めるか、あるいは何か
別のもっと簡単に出来そうな事を見つけてそっちをやろうとします。
問題なのは変にスピリチュアルとか何だとか
胡散臭いものを齧った人で、
自我の「納得」に値する理由に対してスピ系の知識で
「反論」しようとするわけ
ですよ。何とかメソッドをやっているからとか、生き方が正しいからとか、
強運になるおまじないをしているからとか、ベジタリアンだからとか、ですね。
これも結局は自我の自作自演のゲームに過ぎないのであります。
「納得」に値する理由を持ち出す→
それに対して身に付けた知識で「反論」する→
さらなる「納得」に値する理由を持ち出す→
今度は過去の経験やら感情やら
出して「反論」する→
さらなる「納得」に値する理由ガー 以下ループ。
というように終わり無き戦いなのであります。
問題はこの「反論」も、さらにはその前の「何かをやりたい」というのも、
所詮は過去の知識や経験の蓄積に過ぎないという事です。
過去に「あれがやりたい」とか「これが良いなあ」という経験の蓄積から
「何かやりたい」が出てくるわけですね。
つまり極端な言い方をすれば 願望→否定するための理由→それに対する反論→
以下繰り返し は全て自我の自作自演の1セットなわけです。
で、このループを抜けるには今までの自我の蓄積を外してしまえば良いわけですから、
「
成るようになる」「知らんモンは知らん」となれば良いのであります。
言い方を変えれば
「執着を無くし、今に集中しなさい」という事ですね。
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