この前パソコン買い換えて、データとか移し変えたんですけど、膨大な画像データとか
ファイルとか、目に見えないけどパソコンを通じて見えるようになるのは、
我々の思考や感情と似ています。
前に我々は単なるプログラミングに過ぎない的な事を書いたのですが、
思考や感情も我々というパソコンを通して出てくるものであります。
常にデータが飛び交っており、それが
「何か」を通して世界を作り、
我々の肉体や感情や思考も作ります。
この
「何か」とは意識とか、宗教では神とか言われているものですが、
要は我々が思っている「私」とは何処にも居ないのですよ。
全ては
単なる投影に過ぎないのであります。
「こんな酷い世界を投影した覚えは無い」と言うかもしれませんが、
その文句自体や、それを言っている私という感覚も投影であります。
ですから少しややこしいですが
「全て投影である」という考えも、
やっぱり投影なのですね。
投影が投影について考えているのだから、正しい答えは存在しないのです。
何故なら正しい答えを求める、あるいは答えを得たという感覚も、投影だからです。
なので何か答えを求める事は止める事であります。
答えを求めるとは、ある場所からある場所へ移動する事です。
移動するから、何かをしている、何かを得た、あるいは何も得なかったという
投影の世界を彷徨う事になるのです。それは海を探して波から波へと
飛んでいくようなものです。
答えを求めずに動かなければ、少なくともその場所から動く事はありません。
それで良いのであります。そうすれば、あなたは海そのものだからです。
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