「先の見通しが明るいと思ってたら、急に困った事が起きたので
どうすれば良いのか」みたいなメールを頂きました。
これは変な言い方ですが、
そのまま困れば良いと思います。
自分に何かしらの感情なり思考なりが起きるから、それに対して
何らかの対処をせねばならないと思いがちですけど、
感情や思考とは
起きてしまうものなのですよ、ですからそれに対し
何かしようというのも無理な話です。
「困った事が起きた」という思考は起きてしまうものであって、
誰の責任でも無いのであります。
「雨が降って困っている、私のせいだ」と思って、色々やってやっぱり雨が止まなくて、
私のパワーが足りないとか悩んでもしょうがないです。
「雨が降って困っている」なら、雨とは
降って来てしまうものなのだから、
傘をさすか、家から出なきゃ良いのです。
つまり誰のせいでこうなったとか、どうしてこうなったとか思い悩まずに
その場その場で出来る事をやれば良いっつー事です。
そうすれば、その状況と分離した自我は消え、状況と一体となるのであります。
味噌汁作ってる時にどうして私は味噌汁作ってるんだとか、
味噌汁は誰のせいで生まれたんだとか思わずに、ただ単に味噌汁作りの工程(?)を
やっているだけだと思いますが、感じとしてはそれと同じです。
そこには味噌汁も味噌汁を作っている者もおらず、
”ただそれだけ”なのです。
ちょっと話が逸れますけど、私の知人で所有してる株がちょっと下がっただけで
「何で下がったんだろう、何で何で」と喚く
うるせーアホが居るんですが、
喚くヒマがあるならさっさと売るか、そのまま持ってるか、買い増しすれば
良いんですよ。
だって株の売買なんてざっくり言えばその三つぐらいしかやる事ないんだから
それこそ自由意志もクソも無いでしょう。
出来る事は最初から限られてるのに、何故か色々出来ると思い込んでるのが
自我の面白い所ですねえ。
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