前の記事で
「人間て戦争も殺し合いもするもんだぜ!」みたいに書いたら
「戦争を無くしたいのに、人間が争うものなんてもう絶望だ」的なメールを
頂いたのですが、別にそんなに深刻にならずにそういうもんだと受け入れれば
良いのであります。
例えばドラクエでもモンスターは絶対に襲い掛かってくるものなのです、
モンスターとの和平交渉とかやったらそれはそれで面白そうですが、
ドラクエが成り立ちません。
ドラクエに限らずあらゆるゲームは最初からプログラミングがあり、
そこから外れる事は絶対に起こりません。
ですからまずその事を受け入れなければなりません。
で、ゲームのプログラミングに気付いて、それを出力しているのは一体何か、
という事です。
ゲームを体験している私、ではないのですよ。
”ゲームを体験しているように見える私”すらプログラミングの一部であります。
ですから”私”が争うんじゃなくて、プログラム上で争いが起きるんですよ。
それらをひっくるめて果たしてあらゆる気付きの前提にあるのは何か、という
事であります。
それがわかれば、”私”は居なくなり、
実は戦争で死ぬ者も居ないし、
逆に生きている者も居なくなるのですよ。
ドラクエで本当に死んだキャラは居ないし、かと言って生きているキャラも
居ませんよね。プログラミング上で生きた死んだの判定は成されるかもしれませんが、
ではそのプログラミングが走っている”場”というか背景は一体何なのか、という事です。
でもファミコン時代に冒険の書はよく消えたなあ。
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