スピリチュアルブログとか書籍でよくある
「気付いた云々」てのは
確かに言葉にはしづらいですが、気付いてしまうと何故か
余計におかしくなる人の方が
多いように思われます。
気付くと、確かに自分は存在せず、全ては川の流れの如く過ぎ去っていくものでは
ありますが、都合良く感じるものだけはキャッチしてしまう傾向があります。
犬のウンコはスルーするけど札束はキャッチしてしまう的な感じですが、
自分は存在しない事に気付いたのに、都合良く感じるものだけキャッチするのは
妙な話であります。
自分の保有している株が下がってる時は
「全ては過ぎ去るものだよ」とか
達観してるくせに、上がってくると目の色変えて利益を確定したがるような
モンでしょうか。全て過ぎ去るなら株価が上がろうが下がろうがどうでも良いはず
じゃないですか、そして
どうでも良いからこそ逆に適切な行動が自然と取れるのであります。
何でかっつーとそこには幸せな私も不幸な私も居ないからですね、
幸せになる必要も無いし、不幸である事も無いから在るのは
無為自然のみなのです。
スピリチュアルでおかしくなる人って大体「気付くと」
何かしらの恩寵を得られると
強く思っている人じゃないでしょうか。恩寵なんてモンは無いですよ、
だって恩寵を受け取る自分が居ないんだから受け取れるわけないでしょう。
それでも何かを受け取りたい、受け取れるはず、と思っているなら
それは何も受け取っていない自分、不幸な自分を無為自然からどんどん分離させて
行きます。ですから矛盾しているようですが、何かを受け取りたいなら
何も受け取れない事を知るべきであります。
気付いても何の恩寵も無いし何も得られない、しかしそれは、実は
自身が求めていた
恩寵そのものだったという事なのです。だから受け取れないし受け取る物もないのですよ。
言い方を変えれば
最初から受け取っていたという事なのです。
まあ私は今年、お歳暮を二人の方から受け取ったのですが、
二人とも同じメーカーの同じハムを送ってきやがって
少しムカついてるんですが。
PR