「嫌な事ばかり起きても全て自分が作った事だから、嫌だ嫌だと思いつつ
それを感じていれば良いのか」的なメールを頂きました。
まあ乱暴な言い方をするとその通りなのですが、
それ以前に嫌だとか何だとかって、全部自分の命とかに対しての
執着が原因ですよね。
仮に一日で全財産失ったとしても、次の日に死ぬならどうでも良いことで
あります。それと同じで嫌な事が続くってのは、明日以降も自分の命が
続いていくから嫌な事なのであって、逆説的ですが命に執着しなければ
良いのです。
本当は生きてもいないし死んでもいないので、じゃあ命なんて無いじゃないかって
なるんですが、それを言い出すと話が長くなるのでとりあえず置いといて、
命なんてものに執着しても良い事はありません。
もしかしたら1時間後に大地震で家が潰れたり火山が噴火したり
北朝鮮のミサイルが炸裂したりして、死ぬかもしれません。
あるいは風呂場で滑って頭打って死ぬかもしれません。
そんな
不安定な命が今日も明日も続いていくと思い込んでいるのが
実はおかしいのであります。
これはお金に対しても同じで、一兆円持ってても滑って転んで
頭打って即死したら一兆円あろうがなかろうが意味が無いわけで、
これまた命と同じく不安定で形が無いものに執着しても
しょうがありません。
なので「嫌な事」に対してどうにかしよう、という根本的な原因は
非常に不安定な命やお金が未来永劫続いていくと思い込んでいる
観念であります。
執着しているから未来永劫続くように思えるし、
終わりの無い地獄にいるような気になるのです。
ですから話が最初に戻りますが
「嫌な事は自分が作っている」は
半分真実で半分嘘です。確かに自分が作っているのですが、同時にそれに
しがみついて離さないのも自分だからです。
まあ命への執着ってのが、私は自由意志を持っているんだという勘違いにも
繋がるのですが、とりあえずそれは良いとして、いつ無くなるかわからない命なんて
いつでもくれてやるぐらいのつもりで、文字通り自我の自殺をすべきであります。
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