年が明けてから何故か色々と面白いメールを頂くのですが、
今回もお便り紹介コーナーとなりそうであります。
最近では
「私は韓国が嫌いでしょうがありません、キムチやK-POPを
見るだけで虫唾が走ります。どうすれば良いのか」とあり、
さらに「
世界が私なら、私も韓国という事になり、大変に不快です」という
激しい怒り(?)をぶつけたメールを頂きました。
まあ確かに世界が私なら私も韓国、というのはその通りなんですが、
ここで問題なのは
「世界は私」はイコール「世界は私のものである」ではないという
事であります。
「世界は私」視点だと結局は世界を私の一部として見つめる何者かが居る事に
なります。しかしそれだと世界を見つめている何者かは一体何なのかという事に
なってしまいます。
これだとまだ肉体や思考を通して世界を見ている事になります。
そうではなくて、何も通さずありのままがイコール自分であって世界なのです。
これは夢を見ている場合を例に取ると、夢の中の登場人物や建物は
全て意識であります。
そして意識の中のどれかが自分として認識され、幻の自分を通して世界を判断します。
そして夢の中に韓国人が出てくると、良い韓国人も悪い韓国人も殺せ、と自分の役割を
割り振られた意識がヘイトスピーチを始めます。
ヘイトスピーチ自体は良いのであります、そのように作られた夢なのですから
ありのままに好きなだけヘイトすれば良いのです。
問題はそれを能動的に行っている(と感じる)か、受動的に行っているかだけの
違いです。
自転車に乗ったら自転車を漕いでいると思って頑張るのか、
漕がされているとわかっていて漕ぐのか、というのと同じです。
全ては意識の流れのままなのであります、ですからその流れのままに在れば良いのです。
妖怪ウォッチだって何でもかんでも妖怪のせいにして大ヒットしましたし、
バカボンのパパも何があっても
「これで良いのだ」で解決しています。
何故、妖怪のせいにしたりこれで良いのだでOKなのかと言うと、
意識に逆らってないからこれで良いのだなのであります。
そもそも意識の一部である自分という錯覚が、意識に喧嘩を売って勝てるわけが
ありませんよね。
まあ私も10年近く前に仕事の関係で韓国の方と一緒に色々やる機会があったんですよ。
個人的には別に韓国に対して悪い印象はありませんが、やはり生粋の韓国人の感覚と
日本人とではちょっと合わないというか、やりづれーなとは思いましたね。
それに対して中国の方とは結構うまく行きました。何だかんだあいつら拝金主義なんで、
カネが絡むと合理的に動いてくれるのは、こちらとしてはやりやすかったですねえ。
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