今年はどいつもこいつも
新年から飛ばしすぎだぜと
この前の記事にも書きましたが、新年早々おフランスの新聞社の風刺画が発端で
イスラム国の仕業と思われるテロが発生し、とりあえずおフランスも黙るかと思いきや、
「イスラム国許さんザマす、かかってこいザンすよ!」的な展開になってしまい、
遂には中東におフランスが誇る原子力空母
シャルル・ド・ゴールが
突撃するという事態になってしまいまいした。
まあ去年の
「猿の惑星」を観たっつー記事でも書いたと思うんですけど、
人間とは争うものなのですよ。
鳥は飛ぶもの、猿はひっかくもの、人間は争うものであります。
それを無理矢理押さえ込むから余計におかしくなるのであります、
汚い例えですが、ウンコは肛門から出るものなのですから、それを無理矢理
口から出そうとしたらこれは耐え難い苦痛を伴うものと思われます。
自由意志が無いと言うのもこれと似たようなモンで、結局人間であるという縛りが
あるから、出てくる願望も人間縛りから抜け出せないものしか出ないのであります。
「元気な子供を産みたい」と思うかもしれませんが、
「大きなタマゴを口から出したい」とか言い出すピッコロ大魔王みたいな女性は居ないと思います。
なので自我は常に縛りの中にしか存在出来ない、と分かれば本質である意識、
このブログだとすき家の意志になるわけであります。
人間縛りを超えれば、己は生きてもいないし死んでもいない存在であると
知る事が出来るのです。何故なら生死の概念は人間縛りの中でしか無いからです。
縛りを超えると、自分が選んだ事のように思えることも、全て縛りの中で起こるべくして
起こる事にしかなりません。
何故、こんなにも縛りのある世界なのか?
それは
縛りが無いとゲームが面白くないからですよ、縛りのある世界に居ながらにして
縛りを超えたものである、と気付けば世界と己の壁が取り払われ、
宗教的な言い方をすれば自分が神である事を知るでしょう。
縛りがあるとわかったうえで、選ぶ(と感じる行為)事が出来るのであります。
何か幸〇の科学の
O川隆4先生も著書の中で
マホメッドの公開霊言をやらかしたそうですね。
さすがの私もそれを見た瞬間
「シェーーーーっ!」となりました。
日本も、おフランスに続きイスラム国との戦いにまさかの電撃参戦となるのでしょうか。
しかし今年は、どいつもこいつも飛ばしてくれるぜ!
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