「カネは天下の回り物」と言いますが、まさにその通りだと思うのですよ。
以前の記事で
「馬券買うのも現金と馬券を交換しているだけ」みたいなのを
書きましたが、これ別に馬券じゃなくて株とかでも同じですよね。
1万円と株を交換して、株の価値が上がって2万円になったら今度は
株と2万円を交換しているだけですし、結局お金という概念みたいなのが
グルグル回ってるだけなのですね。
紙幣や貨幣はただ単に物を買えるっつー融通性が高いだけで、
別にお金そのものではありません。
ですから紙幣や貨幣を貯め込んで、俺って貯金あるぜ金持ちだろってのは
ちょっと違うと思います。
まさにお金という概念がグルグル回って様々な物の価値が上がっていけば
バブル最高や!で、回らなくなって下がっていけば
不況最悪や!というわけですね。
紙幣や貨幣を貯め込むべしという思いが強いと、
「俺の取り分が少ないのは誰かが
取っているから」という妙な怨みや妬みを抱いたりする人も居るようであります。
この手の考えの人は仮にお金を持っても今度は
「誰かが俺の貯め込んだカネを
取ろうとしている」という感じになりがちです、中小零細企業の社長さんなんかに
意外と多いタイプですよね。
お金を貯め込んでストレスを貯めるのも馬鹿馬鹿しいので、
お金というのは単なる概念で、常に交換を繰り返して回っているものだと知り、
お金を貯め込むのではなく、お金が回る輪を大きくしていくべきだと思います。
と言っても「お金を貯め込むべし」と「お金は回すべし」のどちらが正しいとかでは
無く、昨日も書いたようにそれらはチェス盤を土台とした定跡や手筋と同じなのですから、
正しいも間違っているも無いのですよ。
ただストレスが溜まりやすい無理筋の手筋を追及するよりは、ストレスの少ない
手筋を追及した方が良いんじゃないのという事です。
盤上には全ての手筋が最初から存在しています。
つまりあらゆる可能性が最初から時間も空間も越えて存在しているわけで、
どの可能性になるかは盤上の駒ではなく、盤そのものになる事で初めてわかるのであります。
ですから”まず自分”という確固たる存在があるのでは無く、
極めてファジーな何かが
漂っているような状態が、ただ在る状態なのです。
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