「いつもスピ系のブログを見て
”わかった!”と思うのですが
結局一瞬だけで元に戻ってしまいます」というメールを頂きました。
これは簡単に言えば特定の対象と同一化しているからです。
鏡に映った自分に
「お前は誰だ?」と問いかけ続けると自我が崩壊してキチガイになる、
という話を聞いたことがあるかもしれませんが、キチガイになるかどうかは
置いといて、
鏡に映った人物と意識が同一化するから「私」が生まれるわけですね。
ですから鏡に映った人物と意識が同一化するのと同じで、この場合は
”わかった!”という心の声と意識が同一化しているのであります。
大体、心の声って
自分にも音として聞こえていないのに何故か”自分の声”と
認識していますよね。ですから意識と同一化した心の声が
”わかった!”と
言った所で、
”わかった私”が出て来てしまうので堂々巡りになるのですよ。
仮に
”わかった!”という心の声が
子門真人の声だったら恐らく
”私はわかった”とは
ならないはずであります。
ですから心の声との同一化もやめれば、果たして思考や感情とは一体誰のものであって、
何なのか。そもそも思考や感情と同一化するものは存在するのだろうか、
それは今まで存在すると固く信じていただけで、実は存在しないのではないだろうかと
いう事が見えてくるのです。
”わかった人”なんて最初から居ないんですね。
若い人はマサトと言えば
K-1の魔裂斗かもしれませんが、私が小さい頃は
マサトと言えば子門真人だったのですよ。
ちょっと検索してみたら子門真人ももう70過ぎだったんですねえ、
私も歳を取るわけだ。
PR