あるスピリチュアルな修行を積んだ方からメールを頂きました、ありがとうございます。
その方は慈悲や謙虚さが大事であり、怒りなどの煩悩(?)は悪いものである、という教えを
受けたそうであります。
しかしながら怒りなどの煩悩も生命の現れの一つであって、輪廻というものも本来は自分が
居ないのだから単なるストーリーではなかろうか、と疑問を持ったとの事です。
まあ煩悩の化身みたいな私が言うのもなんですが、この方の仰っている事は
正しいのではなかろうかと思います。
怒りも生命の現れというのはその通りで、例えば水は水でも六甲のおいしい水から
トイレの水まで色々ありますが、
それらは全て水であります。
つまり
水の現れがおいしい水だったりドブだったりするわけで、レッテルというか
境界を無くせば全て水であります。
輪廻というものも、ドブの水をろ過したらおいしい水になりましたみたいなもので、
結局は水の現れであります。
水は水であって最初から輪廻転生するものは
存在しません、ですから輪廻もそれを客観的に観る者が居るときだけに発生する
ストーリーです。
で、ちょっと話がずれますが願望がどうのこうのってのも、結局ドブがおいしい水に
なりたいって言ってるようなもので、ドブもおいしい水も違いはレッテルだけであって
同じ水ですよね。つまりドブは
最初から水のくせに水になりたいって言ってるわけですよ、最初から水ならそれで良いじゃないですか。
まあでも怒りは生命の現れっつっても私のオヤジみたいに怒ってばっかいるのも
困り者ですね。元々私のオヤジは父親としては不器用な男で、昔から叱るといったら
怒鳴るか殴るかしか知らないタイプですけど。
この前も実家に帰る用があったんですけど、玄関の門が開きづらくなってて
無理矢理引っ張ったらブッ壊れて怒鳴られるし、家に入ったら入ったで床で盛大にコケて
障子に頭から突っ込んで怒鳴られるし、何で俺んちなのにクソジジイがギャーギャー
吠えてんだよとオヤジにムカついてましたが、
よく考えたら全部私が悪かったんですね。
PR