読者の方から教えてもらったのですが→ ttp://chaos2ch.com/archives/4370038.html
これは結構良い事言ってると思います。
上記の内容とは少し話が逸れますが、スピリチュアルだ何だに興味を持つのも
結局は自分の為ですよね、仮にスピリチュアルな本とか読んだら
確実に死ぬとか
病気になるとか決まってたら、誰も手を出さないと思います。
しかし自分というものは存在しないものです。
これは観念とか何だではなく、確実な事実であります。
それなのに存在しない自分の為に何かを行うとは妙な話です、
という事はそれらの行いは自分の為にやっているように錯覚しているだけで、
実際は
起きているだけなのです。
そして起きている事に対して一喜一憂しているように見える物も、
やはり一喜一憂が起きているだけなのです。
スピリチュアルは思想でもないし宗教でもありません、
それらのバックグラウンドであります。
ですから思想家は思想を通して表現したものがスピリチュアルであり、
宗教家は宗教的な概念を通して表現します。
思想家や宗教家で無くとも、八百屋のオヤジは日々の仕事を通して表現していますし、
サラリーマンは会社の業務を通して表現しています。
全て目覚めているとか、目覚めていない者は居ないとか何だとかは、そういう事であります。
なので毎日苦しいですとか不幸ですという人は、それらを通してスピリチュアルを
表現しているのです。
表現されたものが自分ではなく、表現の源泉が己であると
知るべきであります。
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