試験勉強とか何だとかを何もしなくても大丈夫なんでしょうかみたいな
メールをたまに頂くのですが、これは学生時代まるで勉強しなかった私からすれば
そりゃあ勉強した方が良いですよ。やはり社会に出てから学のある人とそうでない人は
結構な差がつきます(と思うよ)
私みたいなFラン大学で
朝から晩まで遊んでた馬鹿からすると、
一流大学を出た頭の良い人とかカッコイイなあと思いますね。
で、試験だ何だでは
「努力している私」が色々と妨害していると言って良いでしょう。
極端な例えですけど、一生懸命努力して勉強しても、猛勉強の休憩中に大地震が来て
家が潰れて死ぬかもしれないので、努力が報われるかどうかなんてわからないのです。
もっと言えば
「努力する」必要は無いのですよ。
勉強とは教科書を開いて問題を解いたりする事ですから、問題を解く事だけをやるべきです。
勉強に限らず野球の練習ならバットを振ったりボールを投げる事をやるべきであって、
努力だ何だというのは概念であります。
ですから「試験勉強をしなくて良いのか」っつーのは
勉強のために潜在意識だスピリチュアルだのを努力すべきなのかって事で、
そんなもの努力してもクソの役にも立ちません。
スピリチュアルとは思想でも宗教でも無く、
普段の行い全てがそれであります。
ですから教科書を開く、問題を解く事が全てスピリチュアルに繋がるのです。
そのうち
行動している私も消え去り、人生を生きている私も消え去るでしょう。
全ては映画のように流れているだけで、最初からあるのは映写機だけだったのであります。
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