「アンタの奥さんも実は存在していなくて、アンタはそれについてどう思っているのか」と
いうメールを頂きました、ありがとうございます。
存在しない、とは夢の中では夢の中の登場人物は全て存在しているかのように感じますが、
起きれば全て存在していないのと同じようなものです。
自分自身というものも、確固たる自分が存在していれば熟睡している時にも
自分が居るはずですが、熟睡中は自分は存在しないのであります。
という事は自分自身というのはただ単に
「そう感じている」だけのものであって、
存在しているように感じてはいるが、存在していないのです。
これが完全に理解された時、世界は切り離されたものではなく、
意識の投影、つまり
”感じている何か”が主体であるという事がわかります。
なので嫁さんも私(であると感じている)も同じ意識です。
と言ってもこの辺は非常にわかりづらい話であるのも事実であります。
これはああだこうだ言うより、まずは己と感じているものを突き放してみると
良いかもしれません。
己を突き放すのに一番手っ取り早いのは、文字通り
死ぬことであります。
そもそも毎日熟睡という形で己が居なくなっているのに、何故か己を失う事は
非常に恐れる、これは妙な話です。
どちらも己が消えることに変わりは無いのですから
死を恐れるなら熟睡も恐れなければなりません。
しかし死ぬことばかり恐れる、これは死という概念を恐れているだけであります。
概念を恐れているものを見つけ、それを死なせる事です。
本当の意味で
”死んだ”時に世界が現れるのであります。
まあここまで小難しい事をグダグダ書いてきましたが、
嫁さんは結婚前よりさらに性格がきつくなって、何か嫁というより
うるせえお母ちゃんのようになってしまったので、
ちょっと本当に存在が消えてくれないかなとか思ったりしてます。
もう私も立派な恐妻家ですね。
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