「一瞬にして世界との一体感を感じ、多幸感が溢れました。しかし、その後は
元に戻ってしまいうんたらかんたら」という内容のメールを頂きました。
まあこういうすごい多幸感とかは私も経験が無いとは言いませんが、今にして思うと
単なる病気か頭でも打ったんじゃないかと思っています。
スピリチュアルが好きな人は前述したような多幸感などを求めがちですが、
これは幸せと不幸を言ったりきたりしているだけで、今まで不幸だ不幸だと
思っていた人はそれの揺り戻しみたいな感じで、ちょっとしたスピリチュアルっぽい
気付き(?)でとんでもない多幸感を感じてしまったりするものです。
スピリチュアルとかに手を出さずとも多幸感を嫌というほど感じられる方法はあります。
それは、
風呂の中にでも潜って限界ギリギリまで息を止めて浮上すれば、
思いきり呼吸出来てその瞬間は大きな幸せに包まれ、余計な思考も無く、
世界と一体となるでしょう。「何だそりゃ、ふざけんな」と思ったかもしれませんが、
スピリチュアル的な気付きだ何だで突然幸せになってしまう人は、それと同じ事を
やっているだけです。つまり不幸だ苦しいと延々と潜り続け、何かの弾みで
顔を出して思いきり息を吸って
「ああ、なんと素晴らしい!」とやっているだけであります。
つまり風呂に潜って顔を出して、とやってるだけで、
実は1ミリも変わっていません。突然
「何かを得た!」とか言い出す人はこのパターンが多いと思われます。
まあ今まで風呂の中に潜ってて、いきなり顔を出して呼吸するわけですから
何かを”得た”と感じるのもしょうがないですが、実は風呂の中から一歩も
出ていないわけですね。ですから前述したメールの方のように
「その後元に戻る」場合も
あると思います。
風呂に潜らずに肩までつかってのんびりしているのはとても気持ちが良いので、
何かを得てしまった人が何となくお花畑っぽくなってしまうのも致し方ないとは思います。
が、しかし。風呂から潜って、そして顔を出してという行為は、結局は風呂の中でしか
出来ない事であります。
ですから風呂の中で遊んでいるのではなく、風呂そのものになるべきです。
風呂そのものとはどういう事かと言うと、風呂に潜って苦しいですと喚くのも、
風呂から顔を出して風呂最高や!とのんびりするのも、全て風呂の中での出来事であり、
風呂が無くては出来ない事です。
つまり全ては意識(風呂)に投影されているだけだという事ですね。
ちなみに何故唐突に風呂の話が出てきたかというと、昨日風呂場で滑ってコケて
浴室のドアを派手にブッ壊してしまい、嫁さんに大変に怒られてへこんでいるからです。
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