最近はそうでもないですが、一時期何故かやたらとカネの悩み相談のメールが
来てたんですよ。ストレートに
「お金ください」と書いてあった時は
ちょっと困りましたが。
で、かなりいい加減に答えてしまうとですね、
悩んでる人に共通している事は、前回の鋳型がどうのこうのと被りますが
非常に
「狭い」範疇に閉じこもっているっつー事なんですね。
お金の悩みですと、どうしてもお金の存在自体が「少ない」って前提なんですよね。
つまり貯金が少ない、給料も少ない、少ない中でどうするかって事になりがちなんですが、
少ない少ないって悩むぐらいなら逆に腐るほどあると思った方が良いんじゃないかと
思います。
例えば日本で生活している限り水が少なくて困るって余り無いですよね。
蛇口捻ればほぼ無限に出てくるわけですし、基本的に飲んでも害は無いですしね。
(ちなみに私は約10年前、某国に旅に出た時そこの水飲んで腹壊して死にかけました)
つまり「少ない」という思考から全て始まってるわけで、だったら「腐るほどある」っつー
思考から行った方が良いんじゃないかと思われます。
鋳型にハマッたデフレ的緊縮思考ではなく、拡大思考ですね。
この緊縮思考の打破は、カネの問題だけでなく様々な事に応用できます。
例えば
「私は病気なんです、病気が治らないと幸せになれないんです」ってのも
幸せなんて腐るほどある価値の低いものだという思考から始まれば、別に病人だろうが
キチガイだろうが幸せになれると思います。
「私は引きこもりですが、引きこもりが治らないと彼女も出来ないんです、
出会いも無いんです」ってのも、女なんて腐るほど居る、引きこもり萌えの女も
その辺に居る、女なんて窓から入ってくるという思考から始まれば、
別に引きこもりだろうが何だろうが関係無いわけですね。
つまり幸せだ何だに条件は本来要らないのであります。
条件を付けると幸せの価値が高くなってしまう、だったら幸せの価値を下げてしまえば
良いのです。(下げるって言うと語弊のある言い方ですけど)
まあ私は若い頃から女なんて腐るほど居るぜって思ってたら
気が付くと顔も性格も悪い女と一緒になっていましたが、世の中そんなもんです。
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