分離とは感情や思考との同一化によって起こるものであります、なので
分離した瞬間に自由意志を持っているという勘違いが起こり、同時に敵と味方が
現れるわけです。つまり私とそれ以外、という奴ですね。
例えば
「私は人間である」という思考と同一化したとしましょう。
歩いたり走ったりという動作を自由意志によって行っていると思いますが、
実際は人間である以上、移動する時は歩くか走るかの二択しか無いのですから
これは自由意志でも何でもありません、最初から決まった動作をやっているだけです。
で、これは通常の思考する場合も同じようなモンで、
「スピリチュアル最高や!」となって、ああでもないこうでもないと知識だけ
溜まっていってしまうのはよくある話ですが、これも「私が思考しているのだ」という
同一化によって起きる事であります。
つまり確固たる自分が居て、その自分と同一化し、同一化した状態で居るから
”外側から”来た知識をああでもないこうでもないとこねくり回すわけですね。
自由意志があり、自由に考える事が出来る私だという思考との同一化により、
”考えさせられている”状態です。
これではいつまで経っても同じでしょう。
なので同一化をやめれば良いのであります。
つまり確固たる個人であるという同一化が単なる思考であり、
確固たる個人が居るという証拠を探し回れば良いのです。
恐らく何処にも証拠は見つからないと思います、見つからないって事は、
確固たる個人は、思考や感情と同一化している状態にだけ登場する幻想なのであります。
で、確固たる個人が消滅するって事はスピリチュアルを求めている個人も
同時に消えてしまうのであります。今日の記事のタイトルに対する答えは、
「スピリチュアルをやめて人間もやめる」が正解です。
こうして知識だけ溜まって不自由になっていた個人という対象から解放されました、
おめでとうございます。
PR