アメリカのニューソート系の書籍とかで
「うまくいった時の感じをなるべく具体的に
詳細にイメージせよ」みたいのってあるじゃないですか。
完全に独断と偏見ですが、私はこれってあんまし良くないんじゃないかと思います。
なんでかっつーと、世界は夢というか幻想なようなものなので、
例えば夢の中で何となく夢だと気付いて、ちょっと自分の都合の良いように
操作しようとする時に、あんまり詳細にやろうとするとすぐに目が覚めてしまうじゃ
ないですか。
ですからあんまり詳細にイメージとかしないで
ちょっといじるような感じで良いと
思うんですね。
と言ってもこれは世界が夢のようなもので、実は実在しないという事を完全に納得というか、
知らなければ難しいのですが、これは前回もちらっと書いたように瞑想とかで、
それ(瞑想)を行っている人は何処に居るのであろうか、とひたすら探す事が
肝心ではないかと感じます。
まあそれがわかったらわかったで今度は自由意志も無い事がわかり、
あまり夢の中にちょっかい出そうとか思わなくなってしまうのが面白い所ですけど。
夢の中で夢だとわかると、何か映画見てるみたいで展開を眺めている方が楽しかったり
するのと同じです。
そして夢の中の登場人物は全て夢の流れの中に居て、ストーリーは自然と
進んでいきますよね、そこの登場人物に自由な意志なんて無いのですよ。
言い換えれば野球とか麻雀で流れがどうのこうのっていう言い回しがありますけど、
野球とか麻雀に流れがあるんじゃなくて、流れの中に野球とか麻雀があるのです。
個人から流れを見るんじゃなくて、流れから個人を見るのであります。
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