年明けも相変わらず
Fallout 4にハマって
「核戦争最高や!」とか言ってたら、
引き寄せの法則が炸裂したのか、北朝鮮が最終決戦兵器・水爆を完成させ、
この記事を書いてる最中にもイラン大使館がサウジアラビアに空爆されたりと
いつの間にか
世界大戦一歩手前まで世界情勢が動いてしまいました。
メールでも
「何か大きな戦争が起きそうで怖いです、私は何処へ逃げれば良いのでしょうか」みたいな、何故か私に避難場所を聞いてくる人が居たりと何か色々と大変な事に
なっているのですが、そもそも何で戦争とかを恐れるかというと、
自我でも心でも何でも良いですが、太陽が常に燃えているのと同じで、常に何かを
求めているのがその性質だからですね。
何かを求め続けずにはいられない、という性質なのですから
それはそれで放っておけば良いのであります。
求め続けているのは
自分では無いのですから、別に放っておいても問題は無いはずなのです。
心臓は動き続けないとダメですが、それを無理に手で押さえて止めようなんてしたら
大変ですよね、だから動くに任せれば良いのです。
「心臓は俺だ」とか言って
心臓を操作しようとしてもしょうがないでしょう。
「でも心臓が止まったら死ぬじゃないですか」と思うかもしれないですが、
それで良いのですよ。求め続ける性質の死は、偽りからの解放でもあります。
「でもそうなると今度は何の感情も無いロボットみたいになれという事ですか」と
なるかもしれないですが、それもやはり何かを求め続けたいという性質の現れであります。
求め続ける性質が死ぬ事と、感情が無くなる事は別にイコールではありません。
それをイコールだと感じてしまう事が、既に
求め続ける事と己を同一視してしまっています。
恐怖と向き合うのは、
”求め続ける性質”から解放されるチャンスでもあるのです。
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