仮に夢の中で喉が渇いてしょうがないとして、夢の中で水をくれと願ったとします。
で、結果は水をゲット出来たり出来なかったりでしょう。
それよりも一番手っ取り早いのは夢から醒めてしまえば良いのであります。
夢の中の自分は、もちろん存在しませんが、夢を見ている時はモーレツに
存在感があり、夢の中の自分が怪我したり死んだりするのはトンデモねえと
思いがちです。
しかしながら
やはり存在しないものは存在しないのですから、
夢の中の自分を見捨てて、そのままにしておけば良いのです。
夢の中で水を求めても、やっぱりそれは夢であって、根本的な解決には至りません。
ならば夢の中で新たな夢を求めるのは止めて、夢を放置すればとりあえず
見ている夢からは自由になれます。
夢というのは形すら無いものですよね、ですから
形の放棄と言えます。
「しかしそれでは私すら居なくなってしまうから意味無いじゃないですか」と
思うかもしれませんが、
今の私という形を変えたいと思いながら私が居なくなるのは
嫌だとは妙な話であります。
形を放棄するからこそ、必要な時に応じて形は勝手に現れるのであります。
ずっと世界が続いていると錯覚してしまうのは、私という形をキープし続けているからです。
つまり朝起きてからずーっと「あれも嫌だ、これも嫌だ」と感じる私をどういうわけか
キープし続けているので、そこから時間という錯覚が生まれるのであります。
そしてその「私」の形を変えたい、と思っているのに「私が居なくなるのは嫌だ」と
矛盾した思いを抱き続ければ、結局は同じ事です。
なので、それを変えるには形の放棄をすれば良いのですね。
もうこの夢の内容がどうなろうが知らない、と本心から明け渡せば、
元から形でも何者でも無いものであった、という事を知るのであります。
水を丸い容器に入れれば丸に、四角いコップに入れれば四角くなるように、
前述したように形とは勝手に現れては消えるものであります。
丸い容器から四角いコップに移る際に、私は丸なんだ、丸い形じゃなくなるのは嫌だと
喚いてもしょうがないです。
だって
丸い形の水なんて元から存在しないでしょう。
もちろん私も、私という形ではありません。
私は嫁さんに何か言われたときだけ「何でしょうか奥様」としっかり返事をする私、
という形を取ります。
生返事すると機嫌悪くなって超こえーんだもん。
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