以前も書きましたが「これこれこういう事が望みなので、どうすれば良いのか」的な
ものは「やりたい事をやる」としか言いようがありません。
どうしても「自分が何かを成す」つまり努力をしてどうのこうのと捉えがちですが、
努力しても
ダメなものはダメだし、逆に適当にやってても
出来るものは出来てしまいます。
だったら努力しているとか、俺はこんなに頑張ってるとか思わない方が良いと思います。
ちょっと宗教的な表現になってしまいますが、
”恩寵”てのは降って来る時は
勝手に降って来ます。
肝心なのはそれを受け取る準備が出来ているかどうかです。
努力していると感じていると、どうしても「努力しているんだからどうにかなる」とか
「努力しているから報われないのはおかしい」とか思ってしまいますが、
これだと恩寵を受け取る準備にはなっていません。
思考や感情が「努力してるから云々」「頑張ってるからどうのこうの」で満たされてしまって
いるからですね。
そもそも努力なんてのは本人がそう思ってるだけで、本来は何処にも存在しないものです。
なので存在しないものに気を取られるぐらいなら、やりたい事をやりたいようにやって、
余計なものを無くせば
恩寵受け入れOKとなります。
手放すだの何だのってスピ系の書籍とかによくありますけど、
要は努力してますとか修行するぞとか、存在しないものをメインにしなければ
良いのであります。
ビジネスマン向けの本とかで
「瞑想をしてインスピレーションを得よう!」とか
たまにありますけど、あれもいわゆる
恩寵狙いなんじゃないでしょうかね。
ただ難しいのは「瞑想をしてインスピレーションを~」だと、
どうしても「瞑想を頑張る」方向に行きがちな所ですね。
ちょっとまとまりが無くなりましたが、前回の記事と合わせてみると、
何となく感じは掴めるかもしれません。
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