読者の方からのメールを拝見していると、
「スピリチュアルに目覚めてから絶好調です!」と
いう方と、いつまでも
「これこれこういう事をやってもあれで、これで、もうダメです」みたいに同じ事を延々と繰り返しているような方に
はっきりと分かれます。何ゆえにこのような事になるのかと思ったのですが、
どうも前者の場合は
「個人的に気分が良い、気持ち良い」事を通じて瞑想だの何だの
メソッドを行った方が多く、後者の場合は
常に不快、不安の中でメソッド等を
行う傾向があるという事ですね。
まあぶっちゃけ瞑想とかって気合入れてやっても
大して楽しくないじゃないですか、
何が悲しくて長時間座禅組んだりしなきゃいけないんだよって感じですよね。
ですから個人的に
「気持ち良く”なってしまう”ポイント」を
見つけられるセンス(?)みたいのが肝要ではなかろうかと思います。
心地良い感覚で何かやってると、時間の経つのを忘れていつまでも出来ちゃったりするのと
同じですね。
「気分良くならなくてはならない」と「気分良くなってしまう」は全然違います。
「気分良くなってしまう」は、自分の意志とは関係なくそうなってしまうわけで、
結局、自由意志が無い事を体現する事にも繋がるのであります。
去年の冬に「露出癖があるのですが、コートの下をパンツ一丁で歩いていると
とても心地良くて、何となくそのままの状態でお祈りとかしてたら、いつの間にか良い事が
起きるようになりました」という
犯罪スレスレのメールを送ってきた方も居るので、
何やかんや悩む前に
”心地良くなってしまう”事を探してみましょう。
というかこの方にとっての”良い事”とは何だったのか、そっちの方が気になります。
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