前回の麻雀バカ学生に続いて、
「ネカマが趣味」という
またもやファンキーな読者の方からメールを頂きました、ありがとうございます。
この方はネカマをやる事で、ある覚醒を得たそうであります。
以下は引用です。
「私はネカマの人格を使い分けてきましたが、ある日チャットで私に対し
ブスだの馬鹿だの罵倒してきた奴が居ました。しかし、ネカマはキャラなので、
特に腹も立ちません。ここで私はハッと気付きました。
普段、私が私であると思っているのも単なるキャラの一つではないか、
ネカマを罵倒されても何とも思わないのに、仮に私が実名で罵倒されていたら
ムカつくのはおかしいと思ったのです。」「私とは存在しない、何かに同一化した時だけ、私として存在するという事が
腑に落ちました。そうすると、今まで問題だと思っていた事が、問題では
無くなりました。それらの問題は、私が私(の実名)を私であると同一化しているからこそ、
問題だったのです。」「私はそれ以降、何者でも無くなりました。ゲームのキャラから抜け出たのだと思います。
これからも明るいネカマライフを送ろうと思います。」
結局ネカマかよ という話なんですが、
この方の体験談は非常に示唆に富んでいると思います。
ある対象に同一化しない限り、何が来ようが問題を問題として認識しないという
部分などは、重要なポイントですよね。
即座に問題は解決出来るのではなく、即座に問題では無くなるのであります。
解決出来る、と問題では無くなる、は同じようで違います。解決するだと、結局問題は存在する事になりますが、
問題では無いだと、もはやそれは何処にもありません。
多くの人は解決しようとしてしまう傾向がありますが、
解決するのではなく消滅してしまうのであります。
それは、私だと思っているものとの同一化の解消から始まるのであります。
ネット上だけに存在する女性の人格と、現実の我々の人格に
何の変わりもありません。違うのは前者は実在しない、と思っていて
後者は実在する、と思っているだけの違いです。
結局、
思っているかそうでないかだけなんですよ。
これは夢を見ている時に、その世界は実在すると思っていれば現実、
思っていなければ夢、というのと同じです。
果たして実在とは何なのか、ネカマから哲学的な話になってきましたが、
とりあえず私はこの方のメールを読んで、オンラインゲームでフレンドになっている
女子大生がオッサンだったらどうしようという不安で落ち着かなくなってしまいました。
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