「私の知人が某宗教団体のとても熱心な信者なのですが、何やらその人には
いつも良い事が起きています。私も誘われたのですが、どうすべきでしょうか」という
メールを頂きました。
宗教関連はデリケートな部分もあるので、あまり好き勝手な事は言えませんが、
宗教にすんなり同一化出来てしまう人は、うまく行く人が多いように思います。
逆に熱心な信者でも、信仰の対象と自己が分離している人、つまりあくまでも
信仰の対象をメッチャ崇拝している自分、が強い人は、周りに対し必要以上に勧誘したり、
私の教祖は宙に浮けるとかハルマゲドンがどうのこうの言い出して煙たがられる傾向が
あるようであります。
要は”自己”という錯覚から覚める事が出来れば、信仰の対象など何でも良いのです。
しかしながら、前回の記事とも被りますが、信仰に熱心な人は
「気に食わない自分」「守りたい自分」がやはり強い傾向がありますので、
神や仏に対し
「私を守ってください」となる人には宗教はお勧め出来ません。
仏よ私をホットケ、と仏罰をも恐れぬボケをかませる人にならお勧めします。
以前も書きましたが、私は風呂で死体ごっこをやっている時に何となく
自己の消滅を体験(?)しました。しかし今思うとこれは神秘体験でも何でもなく、
宗教が神や仏という”概念”に自己を預けるのと同じように、
私は死という”概念”に自己を預ける事が出来ただけだったのであります。
つまり私と、私を消滅させてくれる死、という分離を前提とした
偽りの自己消滅だったのであります。
この事がわかった時に、全ての概念は消滅して世界だけが残ったのです。
ですから宗教に関しても、あまり熱心に偶像崇拝とかする宗派は、
自己を預けるどころか自己を強化してしまう事の方が多いのではなかろうかと思います。
私の学生時代からの友人にも〇界〇〇教の熱心な信者が居ますが、
彼も何だかんだで綺麗で優しい奥さんとかわいいお子さんに恵まれて
上手く行っているようであります。
私は何を血迷ったのか、顔も性格も悪い女性を嫁に貰ってしまいましたが、
これは仏罰でしょうか。
よく見ると鬼子母神みたいな顔してるしなあ。