自己というものは何処にも居ないとわかっても、
じゃあ何をすれば良いのか?という疑問は
湧いてくると思います。
何をするのか?という時点で新たな自己が
作られます。何かしようと思って財布を開けたら
一万円しか無い場合、出来る事は限られてきます。
これは別に一万円しか無いことが悪いとかではなく、
何をするか?の時点で何かしらの枠が必要なので
結局の所、出来た枠を自己と感じますし、その枠が
無いと何をするかという事自体が出来ません。
ですから自己が居ない→
何をすっぺ? ではなく
自己が居ないとは、あらゆるものの起点で
あるという事であります。
何かをして働きかけようとする自己は、もう居ないの
ですから、何かが起きる起点で在れば良いし、
それ以外には何もありません。
こうして世界の中にあなたが居るのではなく、
あなたという起点から世界があるのが
わかりました、おめでとうございます。
と、これで終わるとあまりに素っ気ないので
もう少し続けますが、前述したように一万円しか
無いと、その枠の中で色々考え出します。
例えば十万円欲しいとか、あるいは全品半額に
なってくれとか、要は
「私は一万円である」という
枠の中で生きるのであります。
別にそれは悪いことでは無いです、ただ「私は一万円」
はあくまで自己と感じる概念であると気付いている事が
肝要であります。
ちょっと話が逸れますが昔の知り合いで
「俺は物欲も無いし独身だから最低限生活出来れば
それで良い人間なんだ」とか慎ましい事言ってた奴が、
ダメ元で買った宝くじで結構デカい額が
当たったんですよ。
そうしたら人が変わったように車だ何だと
物欲の塊になっちまって、
「やっぱり高級車は加速が
違うぜ」とか言ってんですよ。
つまり彼自身の「少ない生活費で十分な
人間なんだ」ていうのも彼が勝手に思い込んでた
枠で、カネが入って来たらその枠がぶっ壊れて
「高級車最高や!」みたいな新たな枠が出来て
それを自己だと思っているのであります。
どっちが良いとか悪いとかではなく、
要は
自分で自分を洗脳して、夢の中で夢と
気付かずに生きているんですよ。
ですから自分はこうだ、とか決める必要は
全くありません。
私も自分は超が付く面食いだと思ってたら、
何故か顔も性格も悪い女性と一緒になって、
挙句のはてに子供まで出来てしまいました。
でも良いとも悪いとも思いません、
それこそが起点の在り方であります。
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