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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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今回は多少主旨が違う記事ですが、前も書いたと
思うんですが私は視覚で得た負荷より知覚による負荷の
方が重要
ではないかと以前から思っています。

どういう事かと言いますとヒジョーに簡単に言うと
新型コロナで大量に死亡!という記事を見て、つまり
視覚だけの負荷で捉えるとこりゃエライコッチャで!
となると思うんですが、その大量死にある背景を
データその他で調べる、つまり知覚による負荷として
捉えていくと実は大量にくたばったのは80歳以上の
ジジババが殆どだったとして、そうなると大量に死亡と
いっても別のアプローチで考えることが出来るように
なりますよね。
これは別にジジババは死んでも構わんと言っているわけ
ではなく、あくまで簡単な一例です。

で、例を出しといて何ですがこの例の話とまた微妙に
ズレる話になりますが知覚とは意識によって生まれるわけ
で、意識は全ての背景にあるものです。
という事は同じような知覚負荷だったらある特定の種目の
訓練をしなくてもある程度何とかなってしまう
という事に
なります。
汚いオッサンがどんなに清潔にしても、オッサンは皆同じ
なので小汚いオッサンにしかならないのと同じですね
(?)

例えば私は小学校の時にチェスを覚えたんですけど
チェスで考える時に使う脳味噌と、算数の展開図って
あるじゃないですか、あれを考えるときの脳味噌は
何か同じ部分使ってるような感じ、つまり似たような
知覚負荷と感じたんですよ。

これが視覚の負荷だけで考えるとチェスを勉強するなら
当然チェス盤に駒を並べれば良いとなるんですが、
同じような知覚負荷なら展開図の問題やればある程度
チェスの戦略的な感覚って養われるんですよ、
まあサンプルは私だけですけど。

ちなみに早指しの場合は若い人は知らないでしょうけど
チクタクバンバンやってる時の知覚負荷がそっくり
なんですよ。
なので私は一時期チェスの練習の為に展開図解いて
チクタクバンバンやってたんです。

これと同じ話で今度は中学の時に麻雀覚えて、どれくらい
高い手に仕上げられるかの感覚は風呂に手を突っ込んで
大体の温度を当てる感覚、相手からリーチが来たときの
押し引きの感覚は「これは黒ひげ危機一発だ」と感じた
私は麻雀の練習と称して風呂に手を突っ込み
黒ひげ危機一発をやっていた事があります。

どうですか、何となく天才ぽい話に聞こえませんか!
これで今日からあなたも天才です、おめでとうござい
ます。









と言っても実際はチェスも麻雀も中途半端な強さで
終わってしまったので、あくまでも天才ぽいだけで
天才にはなれないと思います。
しかし視覚からの負荷だけではなく知覚負荷で物事を
捉えるという意味ではこれらの訓練は無駄では無かった?
のかなと思います。
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最近、政府がマスクを外せるガイドラインみたいのを
言い出してますが、とっくにマスクしていない私には
死角はありませんでした。
こんなの自分で判断すれば良いやんけ、と思ってたら
「思いきってマスクしないで電車に乗ったら特に何も
言われず、何だこんなもんかと思ってそれ以来は満員の
通勤電車でも全く気にならずノーマスク生活を送って
います。これは私の潜在意識が変わったのでしょうか!
ノーマスク最高や!」
みたいなメールを頂きました、
ありがとうございます。

まあ潜在意識が変わったというか公衆衛生を踏みにじった
というか、確かに何か変わったのは間違いないですね。

まあ今のご時世で公衆衛生的にどうなのかとかは
置いといて、これが示唆している事は多くの人は
「〇〇のために潜在意識を活用して云々」という
アプローチになりがちなのですが、これは本番で
緊張しないためにメンタルを鍛えるとかと同じで、
結局の所緊張する何か、は存在し続けているという事
なんですね。

そうではなくてこの方のように全く気にならない、
つまり意識そのものがそちらの方向にシフトする事が
スピリチュアル的に言えば潜在意識を活用して云々、
になります。

このためにはアレコレ考えるのではなく、とりあえず
(意識が)緊張するものだ、と定義している状況なり
何なりに飛び込んでみる事であります。

「   」と空白部分が四角に感じていたものが
いざやってみると(   )に変わって何だ丸いやんけ、
となる感じですね。

まとめると意識上で「   」のものに対し潜在意識云々
でアプローチしても「   」の中にいるので基本的には
変わりません、そうではなくてとりあえず飛び込んでみて
意識上で(   )にしてしまうという事ですね。
いわゆる顕在意識(?)が「   」と見せているわけ
ですから顕在意識を無視してアプローチする、つまり
とりあえず飛び込むというのが潜在意識的には実は一番
手っ取り早いのですね。










まあマスクに関してはハッキリ言って皆さん疑問を
感じつつもお互いに外すのを牽制し合っているだけだと
思うんですよね。
飲食店に入るときだけマスクして、入ったらすぐに外して
ベラベラ喋りながらメシ食ってますし。

私も会社で「もうマスク暑苦しいから社内では自由に
します」
と言ったら一部の老害からマスク自由化に反対も
ありましたが、うるっせーよ俺様が法律だ、パパに
言いつけるぞ!と押し切った所、次の日からソッコーで
全員マスク外してましたからね。

もう騒ぎ出してから二年半近く経って、あらゆる国の
あらゆるデータが出てるんだから少しは自分で判断
してくれやと思いますねホント。
前回の記事で人生とは()の連続であり、それを()と
何も無い ←空白を同時に認識出来ないからこそ人生が
在るように見える、みたいな事を書きましたが(冒頭から
何を言ってるかわかんねーコイツ、という人は前回の
記事を参照してね)「では私の人生とは取るに足らない
ものだったような気になってしまって、かえって落ち込ん
だ」
的なメールを頂きました、ありがとうございます。

取るに足らない、とは確かにそうかもしれませんが
例えばオンラインゲームの中のキャラクターの生活が
「本日でサービス終了となります、長い間ありがとう
ございました」
となっても、あのゲーム面白かったなとか
あのイベント楽しかったなとかは残るわけで、
そこには様々な感情や当時思った事などがあるわけです。

で、それら人生を一つの大きな流れというかゲームの
シナリオとして捉えるようになると、やはりあらゆるもの
は全て繋がっていたのかな、という感じである程度の
予測というか、大袈裟に言うとシナリオで与えられた
立ち位置、そしてまたこれからの立ち位置
、みたいな
ものが何となく感じ取れるようになります。

イメージとしてはお湯に手突っ込んで「これは何処まで
深いんや」と思っているだけだとわかりませんが、
お湯は何かに入っているかもしれないからもしかして
これは家の風呂かもしれない、と閃くと何となく風呂釜の
大きさからどれぐらい深いとか予測が付きますよね、
それに近いです。

つまり   ←空白だけで何だかよくわからんのが
(       )と同時に認識した事により
これもしかしたら俺んちの風呂やんけ!となる感じ
ですね。ルビンの壺見てたらこれ人の顔面にも見える
やんけ!となるのと同じです。

話を風呂に戻すとこれは家の風呂や!と感じた時点で
何だかよくわからんお湯に漠然と手を突っ込んでいる事
から解放されるわけです、つまり人生は取るに足らない
ものだと見抜いた時点で人生は終わった
のです。
それは何処までも深いお湯ではなく、家の風呂釜だったの
であります。

家の風呂釜の深さは何となく推測出来るので、
後は人生(だったもの)から解放された傍観者として
流れて行くようになるのであります。

普通に人生を進み、人生に踊らされ、そしてまた普通に
人生を流れるのです。
前回の記事の続きというか補足的なものになりますが
基本的に人生というかゲームとは相反するものが一体に
ならないと実体として出て来ません。
簡単に言うと仮に何らかの願望があるとすると、
当然それを妨げる困難や様々な要因のようなものも
同時にあるわけで、例えば( )のようにカッコの
部分が困難だとすると困難に囲まれているから真ん中の
空白を願望と認識するわけです。

では困難を克服しカッコ部分が消えると  ←
このように何も無くなるわけで、つまり願望とは
満たされるものではない、という事です。

新たな( )が必ず出てきます、というか願望に限らず
ゲームとはそういうものです。
スマホゲー等でもプレイヤーを飽きさせない為に
次から次へと新しい( )が出てきますよね。

しかし本来は( )に囲まれた何も無い空白が
本質であります。そして自分と思っているものが実は
( )のカッコ部分なのであります。

今まで多くのカッコ部分を感じる事で出来上がった
輪郭を私の人生
、と呼んでいるに過ぎません。
つまり最初から生まれてもいないし死んでもいないので
あります。空白に()をつけて( )になったからと
いって空白が生まれたとは言いませんし、()を消して
   ←のようになっても空白が死んだとは言いません
よね。最初からずっとそこにあるやんけ、というのが
答えです。

人生は苦である、とも言われますが苦というと何か
メチャクチャキツいみたいなイメージになりますが
人生は()の連続であるとも言えますね。
「自由意志も無く全て決まっているなら認識が
変わったとか何だとかも結局は決まっているのか?」

というメールを頂きました、ありがとうございます。

これはそうだとも言えるしそうでは無いとも言えます。

以前も例えばモテない男性は結果を気にせずどんどん
女性に声をかけて殆ど作業みたいにすれば良い、みたいな
事を書いた気がしますが、要は100人に声かけて100連敗
が決まっていたとしてもそれをネガティブに捉えるには
わざわざネガティブを引っ張ってこないとならない
いう事です。

つまりある出来事が決まっていたとしてもそれに対して
何を感じるかはどんな感情を引っ張り出すかで決まり
ます。こうして初めて良いとか悪いとかが決定される
わけです。

更に言えばどのような感情が引っ張り出されるかも
決まっている
なら、これは目にゴミが入ったら目を
閉じるとか膝のお皿の下を叩くと膝が跳ね上がるとか
全て反射みたいなものに過ぎない、となります。

そして反射であるならばそこに「私」は介在しないという
事になります。こうして行為者の不在という事が出てくる
のであります。

つまり認識が変わったとか何だというのは確かに
そのような事があったとしても、結局は反射の一部で
あったと知ればまた振り出しに戻るわけです。

今まで自分は魂があると思っていた自動に動く人形が、
魂が無いとわかってからも特に外見とかは変わらず
やっぱり動き続けるようなものですね、
そこに認識が変わったとか変わっていないとかを考える
行為者はもう居ません。






でも行為者が居ないとゲーム(人生)が楽しめない
やんけ、と思うかもしれません。

確かにそれはあります、しかし行為者が居なくなるという
事は今まで人生と思っていたものが関係無くなるように
なり、結果として人生において問題と思っていた事や
願望と思っていた事が解放されていくのであります。

何か長くなりそうなので次回に続きます。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

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