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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「スピリチュアルで言われる"自己も何も無いよ"と、
"でも潜在意識とか認識が変更されるとかは有るよ"は
矛盾していないだろうか。自己が無いなら潜在意識とか
認識そのものを認識する事も出来ないやんけ」
という
メールを頂きました、ありがとうございます。

これは非常に鋭い。というかスピリチュアル系でも
自他の区別が無いと言いつつ世界は神の顕れであるとかの
表現もあって、これも区別が無いはずなのに神が
顕れちゃったら何かおかしくね?となりますよね。

要は"本来は何も無い"はずなのに潜在意識に刻むとか
神様に願うとか"対象"が出て来るのは何でっつー事
なんですが、これはそういった対象と向き合う事で
結果として自我が消えていくプロセスみたいなモン
ですね。

ただこれだけだと分かり難いと思うので見方を変えると、
これはお金とか強く自我を刺激するものに向き合うと
感覚的にわかるかもしれないです。

例えば投資でも博打でも何でも良いですがお金が増えたり
減ったりするものに向き合うと、最初はとにかくお金を
増やすという事ばかり考えがちですが、その内に今度は
損失をいかに減らすかとか利確のタイミングはどうする
とか色々やり出すんですよ。

それでまあそれなりに儲かったら儲かったで
「俺はお金よりも世間に認められたかったのだ」とか
急に悟ったような事を言い出したり、その反対に大きな
損失で多くを失った後に「自分は家族と居る事が第一で、
大きな儲けなんて無くても家族と生活出来れば満足
だったんだ」
とかこれまた悟ったような事を言い出して
めでたしめでたし(?) みたいなパターンがあります
けど、これなんかも自我を抑える為に色々やり出して、
結局抑えるものなんて無かった、と知るわけであります。

これは仏教なんかでも確固たる存在を持つものなんて
いないよと教えておいて何故かナントカ菩薩とか〇〇如来
とか沢山のキャラクターが湧いて出て来るのに近い
ですね。これはいきなり「確固たるものはいない」と
言った所で受け入れるのは難しいので、菩薩とか如来とか
自我にとって味方と感じられるキャラクターを創造して
それらに帰依させる事で、実は帰依をしている者など
最初からいなかったのか!と気付かせるというよく出来た
プロセスだと思います。
私は特に仏教に詳しいわけではないですが、浅学の限り
では仏教は宗教ではなく最古のメソッドだと感じますね。








ここからは完全に余談で仏教で思い出したんですけど、
私が小学生ぐらいの時に連載されてた漫画「孔雀王」
知った知識だと弥勒菩薩ってお釈迦様が亡くなってから
56億7000万年後に人類を救う為に出て来るとかで、
その日に備えて修行してるんだかパワーを充電してるとか
だったかですよね(?)

修行の効率がクソ悪いのか充電器の性能が低いのか、
それとも56億7000万年後に現れる人類の敵がフリーザ
とか鬼舞辻無惨みたいな相当な強敵なのかはわかりません
が、56億ってそんなの待ってられんやろ、アホちゃうかと
少年だった私は思ったんですが当時ノストラダムスの
大予言で1999年に人類滅亡がまことしやかに言われて
いた時期だったので「いやちょっと待て、てことは人類は
取りあえずあと56億7000万年近くは滅亡しないっつー
ことやんけ」
と気付いて何か安心した思い出があります。

まあそれでも56億7000万年後ってブッ飛びすぎやろと
いうのは今でも変わりませんが。
いや別に弥勒菩薩を批判する気は無いんですけど、
急に思い出したんでスイマセン。
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「スピリチュアル系に限らずプラス思考の方が良いみたい
な風潮が以前からありますが、自分のようなマイナス思考
の者は無理矢理プラスに持っていくのがツラいので
何とかして」
的なメールを頂きました、ありがとう
ございます。

これはまあプラス思考というかポジティブな方が普通に
気分良いよねというだけで無理矢理変える必要は無い
ですね。思考繋がりで言うと思考って何で湧いて来るのか
とかどっから来るのかという話がありますけど
「知っているから」出て来るわけです。

例えばスーパーマリオでAボタン押すとマリオが腕を上に
向けてジャンプするのはそのようにプログラムされている
からですけど、マリオからしたらジャンプの仕方を
「知っているから」ジャンプするわけで、思考というのも
それを知っているから出て来るわけであります。

つまり話を飛躍させるとポジティブが良いとかプラス思考
にしろとか瞑想しろとか今に在るとかの知識も、
或いはそれに対して何か色々あってワカンネみたいな
疑問も、新たに得るものではなく「知っているから」
なんですよ。

なのでスピリチュアル的にカッコよく言うと
知ろうとしている者と、知った者の間にあるものは
何か?
という事になります。
「スピリチュアル系で世界は自分でウンタラカンタラと
言うのがよくありますが、やはりこういうのは視覚を
通じて得るものだと思うので仮に全盲の人でも同じ境地?
のようなものになれるのか」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これは鋭い質問であります。
ただ全盲の方でも特に問題は無いです、何故なら世界は
ウンタラカンタラというのはものすごくざっくり言うと
全て実在せずに"機能の顕れ"だというのを知ること
だからであります。

例えばこれ前も書いた記憶があるんですけど、
関節という物体は存在しないじゃないですか。
肘だったら前腕の骨と上腕の骨がぶつかった所でお互い
曲がる機能のことを便宜上肘の関節云々と言って
いるわけで、肘とか肘の関節という物体があるわけでは
無いですよね。

それと同じで観るという行為も眼球の機能であり、
あくまで機能の顕れであってそこに物体があるわけでは
無いです。

存在しないものが存在するように振る舞うのが機能
ですから、観るという機能が元から無い状態でも
スピリチュアル云々の場合なら特に問題は無いと言えば
無いです。

もうちょい話を深掘りすると「私の自我がウンタラ
カンタラで困っている」
みたいな話をする方もたまに
居ますけど、これも同じことで自我っつーのも機能の
顕れなわけですよ。

なので自我を消すとか落ち着かせるというのは前述した
関節の例えで言えば肘を消すとか膝を落ち着かせるとか
言ってるのと同じで、無いものは消せないんですよ。
関節はあくまで機能であると知っても別に肘が
飛んで消えるわけでは無いですから自我の消滅というのは
機能であると知ることであって、自我そのものが消えて
無くなるわけではないです。

ですからだいぶ昔の記事でスピリチュアル的な気付き
みたいのを得てもいきなり聖人化したりキャラ変するのは
あまり無いし、逆にキャラ変し過ぎはヤバいかもしれない
というのを書いた気がしますが、これも肘の関節が元から
太い人が、肘は機能やったんやと気付いた所で肘が
細くなるわけではないのと同じです。

つまり"何も変わらない"のですが、認識は明確に
"変わっている"わけで、物体として存在するものは
何も無い、と知っている状態と言えます。
「スピリチュアルと脳科学とか物理学とかは関係ある
のか?そこからのアプローチは有効なのか?」
という
メールを頂きました、ありがとうございます。

スピ系は昔から脳にナントカ波を発生させるとか
超ヒモ男理論とか脳科学や物理学でのアプローチが
多かった印象ですが、個人的には正しいとか正しくない
の話は置いといて、あんまり意味が無いんじゃないかと
思います。

何でかつーと「今に在る」とかよく言われるように
スピリチュアルて"在り方"なんですよ。

じゃあ在り方て何やねんて話ですが、これは例えば
スーパーマリオやってて最初はAボタンでジャンプして
Bボタンでダッシュとか考えながらやりますけど
慣れてくるとそんな事考えないでやりますよね。

更にゲームそのものに慣れてくるとゲーム内のパターン
とか隠れキャラとか全部把握して殆ど何も考えずに
クリアまで行くようになりますが、最初は色々考えて
マリオを操作していたのが最終的にはほぼ何も考えずに
クリアまで行ってしまうというのは「在り方」が
変わった
という事であります。

ここで重要なのは「在り方」はゲームをやりながら
脳からナントカ波を出そうとかヒモとして女の所に
転がり込もうとか全く考えずにただ単にゲームを
やっているだけという事です。
在るという表現にはなっているものの、実は存在を認識
しているものは居ない
んですよ。

つまり脳科学とか物理学によるアプローチは在り方の
説明にはなるかもしれませんが在り方そのものでは
無いっつー事です。

ゲームでも攻略の為に色々研究したりしますが、完全に
慣れてしまえば最終的には頭で考えなくても出来る状態に
「在る」わけで、そうなるとゲームをしている存在は
消えるんですよ、考えなくても出来るようになって
いるので。

在るという表現は存在するという意味のくせに実際は
存在しないとイコールの状態
なのが話をややこしく
していますが、スピ系だと生まれてもいないし死んでも
いないとか、動いてもいないし止まってもいないとか
明らかに矛盾してるやろという表現が多い要因は
この辺にあります。
「スピリチュアルで言われる自由意志が無い、という事は
我々は最初から終わりまでカッチリ行動が決まった
ロボットのようなものなのか?しかし自己が居ないと
なるとロボットすら居ないことになるのでこの辺が
わからん」
的なメールを頂きました、
ありがとうございます。

これは一言で表すとカッチリ決まっていながら曖昧で、
曖昧でありながらカッチリ決まっている
と言えます。

スーパーマリオで例えるとファミコンのスーパーマリオ
って1-1から8-4まであって全32面なんですよ。
で、基本的にマリオが右へ右へ進んで行くわけなんです
けど1-1のスタート地点から8-4のゴール地点までを
一つの画面で全部表示したとしたら次はどんな面なのか
とかはカッチリ決まってるのが一目でわかりますから、
これはある人の人生を最初から終わりまで一目でわかって
しまうのと同じ
です。

そしてマリオが各面でどんな動きをするのか、というのも
基本的に前から亀が歩いてきたとかブロック叩いたら
キノコが出てきたとかの情報・刺激によりある程度は
決まっています。

と言ってもスーパーマリオは隠れキャラが居たり
色々裏技があったりでその情報量は無限とも言えます。
なのでマリオが各面の中でどんな動きをするのかは
情報が多すぎるのでわからんと言えますし、そもそも
マリオ自体もゲーム内の情報に過ぎません。

ただマリオがどんな動きをするかはわからない、と
言っても、あくまでもスーパーマリオの中の話であって
突然ドラクエの魔法が使えるようになるとかは
ありません。それでも情報が膨大なのでやはり何を
するかは曖昧なままです。
つまりカッチリ決まっていると同時に曖昧であります。

強引にまとめると全ては情報であって、私、という情報も
結局は情報の海を漂っている別の情報によって作られた
ものに過ぎないという事ですね。

なので全てがカッチリ決まっていると同時に全てが曖昧
であるという状態なので、あまり深く考えなくても
良いです。と言うか色々深く考えるという行為も、
結局はマリオがゲーム内で色々な裏技を試して飛んだり
跳ねたりしているのと同じです。

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