「私は正直言ってあまり頭が良くないと自覚している
のですが、私みたいのがもう少し賢くなりたいと思って
スピリチュアルに手を出すのは危険でしょうか」的な
メールを頂きました、ありがとうございます。
頭が良くても悪くてもスピ系に手を出さない方が良い
ですが、それだと元も子も無いので頭の良し悪しは
スピリチュアルにおいてどうなのかという点で話を
進めますけど結論から言うと
バカでも◯ョンでも
大丈夫です。
誰とは言いませんが某スピリチュアルブログの著者も
Fラン卒を公言していますし。
そもそもスピリチュアル的な世界観(?)だと
ゲームと同じで天才キャラもバカも居ますから
個人レベルで賢いとか賢くないとかどうでも良いんです
よ、ただそうは言ってももう少し賢くなりたいとか
何かを得たいと思うのは別に間違ったことでは
ありません。
なので逆転の発想で
"求めない"ことが肝要であります。
何かを求めるっつーことは、この場合賢くなりたいとか
になりますが、これだと言い方悪いですけど自分はバカだ
と言っているのと同じですよね。
しかし賢さを求めなければバカでは無いということに
なります。つまり最初から
求めなければ既に存在するという逆説的なオチになるのと、求めだすとどうしても
自我のレベルで細かい注文をつけてしまうのもあまり
良くないですね。学歴は最低でも旧帝大とか職場は
上場企業じゃないとダメだとか結局色々なパラメーターに
左右されるゲームの世界から離れようとしているのに
ゲームの世界に戻ってしまうということになります。
話が逸れますけど個人レベルの頭の良さってこれからは
AIという人類を大きく超える天才がスマホに常駐する
ような時代になっていくと大した問題にならないと
思うんですよね、まあソシャゲみたいに課金額で
差がつくかもしれませんが人類は
あらゆる面でフラットに
なっていくと思います。
この人は何かを持っているけど私は持っていない、
みたいなものが無くなっていくと結局は私という存在が
消えていくので、最終的にエヴァンゲリオンでやってた
人類補完計画みたいになっていくのかなぁとか個人的には
思いますね。
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