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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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スピ系の本だと、世界の全てが愛だの完璧だのヘチマだのといった表現がよく出てきますが、
この辺を何とか文章で感覚を伝えられないものですか、というメールを頂きました。
確かに理屈より感覚から入った方が手っ取り早いので、これは非常に合理的な判断であります。

私はどっちかというと「楽」つまり楽しいに近い感覚なのですが、
これをそのまま受け取ると、いつでもどこでも楽しい感じになってれば
良いのか、と考えると思いますが、まあそれも間違いではありません。

ただ思考で無理やり「楽しい」を絞り出そうとすると、それを維持するのは
困難だろうと思います。
どうしても思考で理屈を考えて、それに当てはめようと
するからです。

理屈抜きで自然と湧いてくるものが本来の在るべき姿です、それは根拠のない楽しさと
安心感です。期待しているでもなく、希望を持っているわけでもない、
もっと言えば意味不明のポジティブさに近い感覚です。

これを一言で表すと、三十代以上の読者にしかわからないネタだと思いますが
伊藤ハムのバイエルンのCMで言ってた「クイズに答えてスタローンと遊ぼう!!」
近いものがあります。

大体どこで遊ぶのか、スタローンに何されるのか、そもそもスタローンと遊ぶとは?
考えれば考えるほど意味不明の言葉ですが、妙に力強くポジティブな印象はあります。

このわけがわからないが何だかポジティブ、言い換えれば「言葉の意味はわからんが
とにかくすごい自信だ」
という感じです。

今日は読み返すと過去最高のネタ記事のような感じになってしまいましたが、
果たしてこれで伝わったでしょうか、って伝わるわけないか。
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読者の方から「何がエゴなのかわからない」というメールを頂きました。

以前、エゴは寝ぼけている状態に近いと書きました。ですから寝ぼけから
目覚めればエゴは消えてしまいます、寝ぼけているからエゴが存在するかのように
感じてしまうわけです。

つまりエゴは存在するようで存在していないものなのですが、
いきなり寝ぼけから起きましたサヨウナラとはいかないでしょうから、
最初のうちは少々乱暴なやり方ですが、全部エゴだとしてしまえば良いのです。

朝起きてあくびをするのもエゴで歯磨くのもエゴ、朝刊もエゴで歩いているのもエゴ、
とにかく自分が「知覚している」こと全部を、エゴだと認識してしまうのです。

毎日クソ暑いのもエゴで冷房の風もエゴです。
「どいつもこいつもエゴだ!」とビシバシレッテルを貼りましょう。

レッテルを貼りまくると、単なるリンゴでも「これは僕のリンゴをかじったネズミを捕まえた猫の
尻尾を踏んづけた犬が切ったノコギリを持っているオジサンのリンゴ」
であると
延々とレッテル貼りが続きます。

レッテルを貼りまくったら、今度は一旦剥がしてみましょう。
そうすると、リンゴに対し「これはリンゴ」で終わりです。さらにリンゴという名前や
果物だという概念を外せば(つまりさらにレッテルを剥がせば)「これは赤い何か」ですし
もっと剥がせば「これは何か」になります。

さらに剥がせば、「何か」すら消えてしまいます。

つまり         となります。

「何だこの空白は?」と思ったかもしれません。
しかし何故何も無く、何の概念も無い「空白」を認識できたのでしょうか、
それは空白を空白と認識する存在がいるからです。
空白は空白と認識できる存在がいなくては空白足り得ないのです。

その存在こそが本当のあなたであります。
探しても見つかりませんが、確かに「そこに」居るのです。
昨日の記事で元々「ある」ものに気付く、みたいな事書いたんですが
「ある」って何ですかという、よく考えれば当たり前すぎる質問
読者の方から頂きました。

これは非常に文章で説明するのが難しいですが、「ある」という単語を使ったのが
混乱の元だったかもしれません。
「ある」というより、「真実に気付く」事であります

例えば、あなたが一度目を閉じて、次に目を開いたときにはいつもどおり部屋が
広がっていると思いますが、これは目を開けた瞬間に今までの記憶やらエゴやらが
瞬時にくっついて、「私の部屋」を創っているわけです。

ここから話が少しややこしくなります。以前、未来も過去も幻であるという話を書いたと
思いますが、目を開けて自分の部屋を確認したときには、
「あそこの染みは3年ぐらい前にコーヒーこぼしたときの」とか「あそこは昔、恋人と
一緒に座ったベッド」とか「あのタンスの上に時計を置く予定だ」とか
幻のはずの過去や未来を参考にして「自分の部屋である」と認識しています。

この処理は超絶ハイスピードで行われるので普通は全く気付きません。
で、これにエゴが絡むとエゴが迫真の演技で主役を務める連続ドラマが始まるわけです。

「あそこは昔、恋人と座ったベッド・・・」「そういえばもう5年もまともな恋愛をしていない・・」
「友達はみんな結婚した、アタシだけ何で・・・」「絶対に幸せな結婚をしたい!今日から
毎日お祈りよ!!
」とかなるわけです。

お祈りする前に結婚相談所でも行けと言いたい所ですが、
そもそもの発端は本来無いはずの過去や未来を手掛かりに「自分の部屋」を創った事です。
つまり幻を採用しないでありのままに在る事が出来れば、一切の混合物が無い純粋な
「今」を垣間見れるのです。


世界と一体とはこの状態で体感できるものです。
「でもアタシ、結婚したいわ。やっぱりお祈りよ!!」 ちょっと待ってください、
これでは振り出しに戻ってしまいます。

純粋な「今」を垣間見たということは、幻である過去も未来も採用していないということです。
それなのにわざわざ「結婚したい」と言い出すのは「恋愛で失敗した過去」「楽しい新婚生活への
未来」とかをわざわざ引き戻して採用しているということです。

「今」に近づくと願望に混じっている様々な不純物(過去とか未来とか条件付けとか何たらかんたら)
が無くなっていきます、やがて目の前にあるはずの「部屋」も消えます(感覚的に)
何故なら究極的に言えば「これは部屋の壁」とか「これは窓」とかも勝手に条件付けした概念
だからです。全てが消えたその瞬間、「宇宙パねぇ」が見え、願望は願望では無くなり純粋な意図と
なります。大げさに言えば宇宙に「意図」を創造したのです、それはまさに源泉かけ流しから
世界を誕生させた瞬間であります。

なんか火の鳥みたいな話になってしまいましたが、最初はあまり願望どうたらこうたら考えずに、
幻を採用してエゴのストーリーが始まっていないかを見ているだけで良いと思います。
その内真実が顔を出します。
読者ブッチギリの話が続いていますが、前回の続きです。

さて、何でもかんでも宇宙を感じて「宇宙パねぇ」になったのですが
これに気付いてからの私はもう何もする気が無くなりました(でもブログは書いてる)
別に無気力になったとか、重度の鬱病とかではなく、今まで不足だと感じていたものが
全部エゴによる幻であったということに気付いたからです。

結局、いわゆる願望実現法などは、この「幻」に対してのアプローチである事が
殆どです。幻に幻をぶつけていっても、出てくるのは更なる幻であります。

前も同じような事書きましたが、不足が幻だと気付くと、幻に対し色々とアプローチしようと
しなくなります。というか幻なのでやってもしょうがない、アプローチ自体出来なくなります。

そうすると、どんどん思考が消えていきます。
思考が消えると、思考であれやこれやと判別しなくなるので、ずっと同じ場所に在る感覚に
なってきます、いわゆる今に在りなさいとかスピリチュアルマスターといわれてるオッサンが
言っているのは、これなのかもしれません(多分)


あとはもう、勝手に世界が(私が)動いているだけです。そこにはある種の神懸かり的な調和
感じます。そもそも体を動かすとか何々をやってるかとかは、全部思考による後付です。
トイレでウンコしてても、彼女と携帯で喋りながらクソしてれば話の方に夢中になってて
トイレに居たとかは全く意識に上りません。つまり本当にクソしていたのか?ということです。

「俺が彼女と喋りながらトイレでウンコが消失中」というラノベのタイトルみたいな展開ですが、
全ては後付ではないのか、後付の思考にエゴがくっついて勝手にストーリーを紡ぎ出し、
そのストーリーが真実であると信じ込んでいただけではないのか、という事です。

私自身、その事に気付くと、どんどん世界が(私が)変わっていきました。
今まで感じていた不足感は全部ウソだったのです。
最初から万事OKでした、わざわざ不足をせっせと作っていただけだったのです。

もう自分も他人も、そこにはありませんでした。
あまりにも完璧に調和しているエゴの理解の範疇を超えた何かが、
「宇宙パねぇ」があるだけでした。

そこはエゴに理解できる言葉で説明しようとすれば「愛」とかかもしれません。
ただ私としては「愛」という言葉は誤解を招きそうなのであまり使いたくない言葉であります。
私の感覚としては楽しいの「楽」が近いような気もします。

言い換えれば、家族で生まれたばかりの赤ん坊を見るあの時の感覚に近いかもです。
といっても私は若い頃から女性関係も極めてアバウトだったせいで、今だ独り身で子供も
いないんですけど(避妊はアバウトにせずしっかりやってた)

しかし、独り身のオッサンでも何故か子供が生まれた時の感覚になってしまう事こそが
宇宙パねぇの凄さであります。
前回の続きです。

「思考」が様々な取っ掛かりが無いと出てくることがなく、
実は「私」とは純粋な意識であった事に気付くと、周りの世界が非常に迫真を
持って迫ってきているというか、ありのままに見えるというか、
プレステ3よりリアルな圧倒的な臨場感というか、とにかく世界が変わりました。

これは目に見える対象物だけでなく、距離や時間や匂いといった要素全てを含みます。

それらの要素全てが、意識である私が創り出していた、というか私の分身であったのです。
そして今までいかに「思考」に惑わされ、「思考」に操られ、エゴによるストーリーの中にいたか
痛感しました。まさに瞬間ごとに次々とエゴが思考にくっついてストーリーを
紡ぎ出していたのです。


しかし、それらはもう幻だという事も実感しました。幻が消えると、今まで自分がいかに
源泉からの贈り物に気付かなかったか、全て満たされているのにわざわざ目を逸らしていたという
事にも気付くことが出来ました。

なんか一昔前のRPGみたいですが、まさに世界が真の姿を現しつつあったのです。

そうなるともう言葉では言い表せませんが、あえて言うなら何から何まで全てに
「宇宙」を感じました。大げさに言えば全部自分が創ったんだ、という
シムシティで一千万都市を作り上げた時みたいな高揚感を感じたわけです。

朝の光も宇宙、すき家の牛丼の米粒の一粒一粒にも宇宙、雨や風にも宇宙、
ウンコの臭いにも宇宙、台所から玄関までの距離にも宇宙、宇宙刑事ギャバンにも
宇宙を感じました。

既に読んでる人置いてけぼりの状態だと思いますが、
これはモーレツア太郎ならぬキョーレツな至福感を伴います。
今まで付き合ってた女が研ナオコみたいだったのに、スッピンだと佐々木希だった、みたいな
至福感です。

この体験がカッコ良く言えばスピリチュアルな目覚め、悪く言えば単なる危ないオッサンへの
目覚めだったと思っています。

次回以降も読者ブッチギリで続きます。

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食う寝る遊ぶ
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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