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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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前回の記事を読んだ方から「自己というものが
よくわからなくなって統合失調症みたく
なってしまいました」
というメールを
頂きました。

自己というものは別にわかる必要は無いので
あります。

例えば「私は某県某市に産まれて小中高と
地元の学校で遊びまくって、大学はFラン行って
やっぱり遊んでるだけでした」

自己紹介した奴が居るとします。

これは前回の記事で「葬式が悲しいのではなく、
葬式に最も適していると思われる感情や思考を
引っ張り出す」
と同じで、
こいつの場合は自己紹介に適した"物語"を
引っ張り出しているのであります。

これと同じで「私はこれこれこうで
不幸である」
と言う際には"不幸である"為に
「これこれこうで」を引っ張り出して
いるわけですね。

不幸である自己を出す為には、
何故、不幸なのか?という物語を即興で
作らなければなりません。

つまり過去の経験があるから不幸、ではなくて
不幸である為に瞬時に物語を作るわけです、
それが自我には過去の体験として感じる
だけであります。

つまり過去の積み重ねの結果としての
"自己"は何処にも居ない
し、存在を知ることも
出来ないのであります。
だから今に在るとかいう言い方を
するわけですね。

こうして不幸な自己は居なくなりました、
おめでとうございます。
選挙が近付いて来ましたが、選挙ほど
個人の好き嫌いが出るのってなかなか
ないですよね。

ウチの近所に住んでる自称リベラルの爺様は、
自民党の「このハゲー!」の人にはえらい
憤慨してましたが、民進党の不倫した
オバハンの件はスルーしていました。

そうかと思うと、この前会った時に
「アンタまだ新婚だろ、不倫はイカンよ不倫は」
とか言われたんですが、だったら某議員の
不倫の時も怒らないとおかしいやんけこのハゲ、
と思った次第です。

結局、何を好ましく感じて何を気に入らないと
感じるかって決まってるんですよね。
で、好きと嫌いとか感じるには、そういった
感情も必要ですが、何よりもその感情を感じる
自分が必要となります。

つまり無数の「自分」が存在しているわけで、
自分とは感情を表現するための器としての
概念でしかありません。

状況に応じて感情を選択し、状況に応じた
自分が現れるという事であります。

例えば葬式の時は悲しいとか神妙にするという
感情や態度が適していると判断し、それを
引っ張り出すわけであります。
決して葬式が悲しいからではなく、葬式に
応じた感情や自分は何か?という判断が
先にある
のです。

という事は自己とはやはり確立した存在ではなく
その時その時に応じている(と判断している)
無数の自己があるだけであります。

その判断をしているものは何なのか、
自己が存在しないのに自己を創り出している
ものが肝要です。

「脳が判断している」と思うかもしれないですが
脳が判断している、と思うのが最も適している
ように感じれば、それはそれで正しいし、
「すき家の本部が判断している」
思えばそれもそれで正しいのであります。

つまり自己も世界も、確固たる存在では無く、
認識の中にしか存在しないという事ですね。
2ちゃんねるが何故か5ちゃんねる
なったそうですが、そうすると以前に
オカルト界隈で話題になった「未来から
来ました」
の書き込みが全部ウソという
事になってしまいます。

「2062年の5ちゃんねるから来ました」
書いていればすごかったですけどね。
やはり未来予測というのは難しいものです。

ちなみに私はオッサンだけあって
2ちゃんねるの前身ともいえるあめぞう掲示板
時代から知っていますが、2ちゃんねる自体は
もう10年ぐらい前から殆ど見なくなりましたね。
この前「100万持ってたら100円落としても
気にしないけど、500円しか無かったらとても
気にする」
という感じの記事を書きました。

「という事はやはり金持ち最強ですか」という
メールを頂いたんですが、そうではなくて
要点は所有の放棄であります。

お金でも何でも所有していると思うと、
執着します。自己が頑張って所有したと
思うからですね。

だいぶ前に「ジムのサウナでオッサンに
ベンチプレスの挙げ方を教えてもらって
ベンチの重量が伸びた」
みたいな事を書いた
記憶がありますが、これは別に私が頑張った
わけではなく、偶然サウナで隣に居たオッサンが
偶然話しかけてきて偶然そうなっただけで
あります。

つまり私は何一つ行動していないし、
特別な努力をしたわけでもない。
もっと言えば何かを行動してきたと感じる
自己は居らず、自己が居ないという事は
「人生」すら存在しなかったという事で
す。

という事は今まで幸せな人生だったとか
不幸な人生だったというのも無いし、
何一つ得てもいないし失ってもいない
いう事です。

ですから自己が所有しているものなど、
何一つ無い。所有していないという事は、
お金を例にすれば増えようが減ろうが関係無い、
生活全般で言えば明日死のうが生きようが
知らん、という事ですね。

スピリチュアル的な教え(?)の難点は
不幸な人生を変えてくれるかもしれないという
期待が生じる事であります。
これだと存在しない人生をわざわざ具体化し、
突き回す道具になってしまいます。

人生そのものが偶然と思い込みの産物ですから
わざわざそれを強化する必要はありません。
今まで歩んできた人生には、何一つ自己が
干渉した事は無いのですから、
スピリチュアルがどうのこうのというのも
干渉させるべきではありません。

これは過去のカルマだとか前世の因縁とかも
同様で、それによって人生を突き回されて
いるなら、それも思い込みの産物です。

こうしてカルマからも因縁からも解放されました
おめでとうございます。

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