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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「いつもポジティブでいようと思うけど、出来ない」というメールを頂きました。
ありがとうございます。

これ、前も同じような事書いたかもしれないですけど
別に常にポジティブでいる必要無いと思うんですよ、というか無理でしょう。

そもそもポジティブってネガティブを知っていなくてはならないんですよ、
そしてポジティブもネガティブも思考によって判断し、出来上がった概念であります。

という事はポジティブで過ごしていようがネガティブで過ごしていようが
概念という幻の中に居るという事は変わりないわけで、実は同じなんですね。

ですから「常にポジティブで最高や!」とかマック赤坂みたいな事を言ってる人は、
良い気分と悪い気分という対立概念の中に居ながら”良い気分”の方だけを持ってきて、
これで”悪い気分”を起こす悪い事から抜けられると言っているわけで、
これでは幻の中から出ていません。(別にマック赤坂氏の批判ではありません)

もっと話を進めると、ポジティブだネガティブだってのは全て「そのような考え」で
あって、「考え」が存在するだけなんですね。
将棋やってて「考え」ますけど、その考えは将棋そのものではないですよね。

スピ系の話も同じようなもんで、いくら考えても「考え」があるだけで
それそのものには決してならない
のであります。

いくら考えても別に構わないのですが、「考え」と「考えられている対象」は違う、
という事は肝心な所ですね。
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昨日の朝、起きてから何となくテレビをつけたら、女子レスリングの
吉田沙保里選手が号泣しているじゃないですか。

「取り返しのつかない事をしてしまって・・・申し訳ありません」と号泣する吉田選手を見て、
私は「とうとう勢い余って対戦相手を殺してしまったのか・・・」と戦慄していたら、
何と決勝で負けちゃってたじゃないですか。
テレビの前でヽ(・ω・)/ ズコー となりました。

私は今回のオリンピックはそんなに観てないですけど、金メダル間違いないだろうと
思われた吉田選手の敗退はショックでありました。

レスリングって試合中に休める局面が殆ど無くて、メチャクチャ過酷な競技なんですよね。
私の同級生でレスリングやってる奴いましたけど、まさにフィジカルモンスターでした。
すげえ喧嘩強かったし。

そんな過酷な競技で実に15年ぐらいトップを走り続けていた吉田選手は
本当に大したものであります。
やはり人類最強の女に涙は似合わない、4年後の東京にも出てもらいたいですね。
「スーパーで買い物をする時に割引商品ばかり買ってしまいます、これは貧乏人に
まっしぐらでしょうか?お金に縛られないようになりたい」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

別にスーパーで割引商品を買うのは問題無いんじゃないでしょうか、
ウチの嫁さんも買って来ますし。

あんまりお金を使う事に対して気にしない方が良いですね、
節約したいならすれば良いし、何か買いたい物があるなら買えば良いと思います。
そもそもお金なんて死んでしまえばいくら持ってても意味無いですから。

何故か自分は死なないという思い込みのようなものがあるとお金は貴重に感じてきますが、
仮に30分後に確実に死ぬのが自分でもわかっている人に1億円あげても、
その人は1億円を大事にしようとかは思わないでしょう。

お金に縛られないようになりたいのなら、明日にでもどこかの島に行って
鉄腕ダッシュのように自給自足をすれば良いのですが、恐らくそれをやる人は
少ないと思います。つまりお金に縛られないように、というのはお金を増やしたいとか
お金が欲しいというのが先に来ているわけで、結局何処までもお金に縛られているのですよ、
と言うか自ら縛られに行っていると言えます。

ですからお金に縛られないようになりたいのなら、お金から一旦離れなければならないので
あります。つまり”自己の意志”でお金を増やそうとかお金欲しいとかを捨てる事であります。

が、しかし。お金に関しての概念を捨てたとしても、今生きている世界は恐らく貨幣経済の
世界でしょうから、結局お金に関する事は自然とまとわり付いてきます。

この”自然とまとわり付く”のがコツと言えばコツで、”自己”が介在しない所で勝手に
物事が回っているようになるのであります。

例えれば、身体を清めよう!と一生懸命タオルで身体を洗うより、滝を浴びた方が早い
みたいなものです。身体を洗うという概念を捨てた所で、滝浴びをすれば身体は
勝手に清められてしまうわけですから。

というわけでお金にせよ何にせよ、縛られない為には”より良くしよう”とするのではなく、
”捨てる”事が肝心という話でした。
基本的に人は価値が高い(と感じる)ものを求めます。
歳をとればとるほど若さというものに価値を感じますし、貧乏であればあるほど
お金に価値を感じます。病気であれば健康に価値を感じるでしょう。

しかしながら価値の高さとは、あくまで個人の価値観の範疇でしかないものであります。
スピリチュアルでよく言われる手放せだの何だのは、早い話が求めている物の
価値を下げてしまえという事です。

病気の人が様々な民間療法や、人によってはスピリチュアルにまで頼るのはわかりますが、
結局それは健康がとても価値の高いものになってしまっている、
何かをしなければ得られないものだと思ってしまっているわけです。

なので健康にしろ何にしろ、特に無理をしてまで手に入れる価値の無いものだと切り捨てる、
手放してしまった方が良いです。(医者に行くなとかの意味じゃないですよ)

「それはトンデモねえ事です!」と感じる場合、欲している物の価値が上がり過ぎています。
しかしその価値は、他でも無い自分で勝手に決めた価値であります。

恥ずかしながら、ガキの頃の私はお金というものに全く価値を感じていませんでした。
オヤジはともかく、祖父は随分と私を甘やかしたので、小遣いくれと言えば
ホイホイ諭吉が出てきました。まあオヤジも機嫌が良い時には結構くれたんですが。

ちょうど今ぐらいの時期、高校の同級生が夏休みはコンビニで時給850円だか何だかで
バイトしていると聞いた時、「1時間働いて800円かそこらなんて、こいつ馬鹿じゃないのか」
本気で思ったものです。

「しかしお金に価値を感じないといっても、それはアンタがそこそこ裕福な
家庭で子供時代を過ごしただけの話じゃないか。私はアンタのような馬鹿息子では
ないからお金は大事だと思う」
と思う人が大半だと思いますが、
ポイントはそこなんですよ。何に価値を見出すかってのは結局、過去の経験等から
導き出したものを引っ張り出しているだけなんですよ。

例えば私はオッサンになった今、学生時代の夏休みバイトってものにモーレツに
価値を見出しています。
やっぱり遊んでばっかりいないで十代の頃にバイトして社会勉強すべきだった、と
この歳になってから思います。

でもそれは「夏のバイト」ってものにガキの頃の記憶や、社会人になってからの
経験等を引っ張り出して、勝手に価値の高いものにしているだけですよね。

前回の記事と被りますけど、単なる物事にすら、それに価値を与える為に経験やら何やらを
引っ張り出してきているんですね。

実際はあらゆるものの価値って特に決まってなくてフラットなんですけど、
自分でも気付かぬうちに価値を付けていって、”価値が高い”と判断したものを
欲しがるわけです。

ですから誰が欲しがっているのかという事です。

経験やその他色々を引っ張り出して”あれは価値が高い”を作り出しているなら
本当にそれは自分が判断した事なのか、という事を問うべきであります。
自分が判断した事でもないのにそう思わされているなら、それらは全て夢のようなものでは
ないでしょうか。一度「これは夢だ」とわかったら、夢の中で執着していたものは
どのように感じるでしょうか。

例えば夢の中で怪物に追われていたら命に執着すると思いますが、
「これは夢だ」とわかってからはどのようにその夢を眺めるか、という事です。
「自分は海だ源泉だエゴの感情を気にするなと言っても気持ちが焦ります」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

何か気になる事がある場合は、焦るのもわかりますが
焦りとか怒りとかの感情は何故感情として成立(?)するのかという事から
アプローチすべきであります。

怒りの感情を例に挙げると、そもそも怒りとは何となく胸がムカムカするとか、
腹の辺りが熱くなるとか、あるいは昔あった嫌な事がありありと思い出されるとか
色々な反応があると思いますが、逆説的に言えば
それらの反応が怒るためには必要なんですね。

という事は怒りとか焦りとかその他色々な感情は身体の反応、およびイメージを
必要とするわけです。つまり怒るため、焦るために反応を引っ張り出してくるわけですね。

という事は反応が起こってもそれを採用しなければ良い、となります。

文章で書くと難しいかもしれませんが、例えば仮に芝居をやっていて
悲しい場面で涙を流してくれと言われて、宝くじに当たった所とか
風俗で遊んでる所とかをイメージする人はあまり居ないと思います。

殆どの人が身内の葬式とか、そういった”悲しい”を引っ張り出すイメージを探すはずです。
普段の生活で怒ったり焦ったりも過程としては同じ事をやってるんですよ、
ただあまりにそれが高速で行われるので、自分自身が反応をわざわざ探して来ている、
という事に気付けないわけです。

で、少し話が飛びますが「自分が存在する」感覚というのも、やはり反応を探してきた
結果であります。一切の反応に任せない事が、無為自然な状態であります。

しかし勘違いして欲しくないのは「何かを成し遂げる」ために反応しないのではありません、
それでは「何かを成し遂げるにために、反応しないこと」に反応している状態に
なってしまいます。

「勝つために無心になる」は”勝つ”事に対して無心という反応をしているので、
実は無心ではありません、邪念ありまくりです。

そもそも”勝つ”とは普通は自分が勝つため、または自分が都合の良いようにする事ですから、
反応の集合体(?)として現れている自分が前提となっている時点でおかしいでのあります。

自分とは単なる反応を引っ張り出して作り上げた偽りの存在である、という事を知れば
実は一度も世界と分離せずに、ずっと共に在ったことに気付くでしょう。

そしてその瞬間、文字通りあなたは死にます。
偽りの自己は冗談抜きで本当に死ぬのであります。
同時に偽りの自己が抱えてきた、わざわざ反応を引っ張り出してまで作っていた
悩みも苦しみも死にます。

おまえはもう死んでいるっていうのは、マジだったのです。

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