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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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この前久々に学生時代の友人と会ったんですけど
そいつは若い頃からとんでもない老け顔で、
「じゃりン子チエ」に出てくるお好み焼き屋の
オッサンに似ているくせに、とにかく女の子に
モテたんですよ。
彼のモテっぷりはまさに天才的でした。

何故こんなブ男がモテるのだろうか?
当時の私には永遠の謎でしたが、
今思うと彼の全く物怖じしない根拠の無い自信が
良かったんじゃないかと思います。

本人も言ってましたが、学生の頃は
女の子に声かける事自体が、とにかく
楽しくて楽しくてしょうがなかったと、
振られたとかセックスしたいとかどうでも良くて
女と見るや声をかけずにはいられないという、
ある意味ヤバい奴だったわけですが、
これはまさに今を生きまくっているのでは
無いかと感じた次第であります。

私は天才とか才能があるっていうのは、
何か特別な力を得ているんじゃなくて
何かが欠落していること
だと思って
いるんですが、あのブ男はまさにモテに
関しては天才でありました。

というわけで皆さんもどんどん余計な
概念や感情は捨てるべきであります。

そして余計なものが入って来づらいのは、
楽しいと感じる事を優先的に行う事だと
思います。
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前回の記事を読んだ方から「自己というものが
よくわからなくなって統合失調症みたく
なってしまいました」
というメールを
頂きました。

自己というものは別にわかる必要は無いので
あります。

例えば「私は某県某市に産まれて小中高と
地元の学校で遊びまくって、大学はFラン行って
やっぱり遊んでるだけでした」

自己紹介した奴が居るとします。

これは前回の記事で「葬式が悲しいのではなく、
葬式に最も適していると思われる感情や思考を
引っ張り出す」
と同じで、
こいつの場合は自己紹介に適した"物語"を
引っ張り出しているのであります。

これと同じで「私はこれこれこうで
不幸である」
と言う際には"不幸である"為に
「これこれこうで」を引っ張り出して
いるわけですね。

不幸である自己を出す為には、
何故、不幸なのか?という物語を即興で
作らなければなりません。

つまり過去の経験があるから不幸、ではなくて
不幸である為に瞬時に物語を作るわけです、
それが自我には過去の体験として感じる
だけであります。

つまり過去の積み重ねの結果としての
"自己"は何処にも居ない
し、存在を知ることも
出来ないのであります。
だから今に在るとかいう言い方を
するわけですね。

こうして不幸な自己は居なくなりました、
おめでとうございます。
この前「100万持ってたら100円落としても
気にしないけど、500円しか無かったらとても
気にする」
という感じの記事を書きました。

「という事はやはり金持ち最強ですか」という
メールを頂いたんですが、そうではなくて
要点は所有の放棄であります。

お金でも何でも所有していると思うと、
執着します。自己が頑張って所有したと
思うからですね。

だいぶ前に「ジムのサウナでオッサンに
ベンチプレスの挙げ方を教えてもらって
ベンチの重量が伸びた」
みたいな事を書いた
記憶がありますが、これは別に私が頑張った
わけではなく、偶然サウナで隣に居たオッサンが
偶然話しかけてきて偶然そうなっただけで
あります。

つまり私は何一つ行動していないし、
特別な努力をしたわけでもない。
もっと言えば何かを行動してきたと感じる
自己は居らず、自己が居ないという事は
「人生」すら存在しなかったという事で
す。

という事は今まで幸せな人生だったとか
不幸な人生だったというのも無いし、
何一つ得てもいないし失ってもいない
いう事です。

ですから自己が所有しているものなど、
何一つ無い。所有していないという事は、
お金を例にすれば増えようが減ろうが関係無い、
生活全般で言えば明日死のうが生きようが
知らん、という事ですね。

スピリチュアル的な教え(?)の難点は
不幸な人生を変えてくれるかもしれないという
期待が生じる事であります。
これだと存在しない人生をわざわざ具体化し、
突き回す道具になってしまいます。

人生そのものが偶然と思い込みの産物ですから
わざわざそれを強化する必要はありません。
今まで歩んできた人生には、何一つ自己が
干渉した事は無いのですから、
スピリチュアルがどうのこうのというのも
干渉させるべきではありません。

これは過去のカルマだとか前世の因縁とかも
同様で、それによって人生を突き回されて
いるなら、それも思い込みの産物です。

こうしてカルマからも因縁からも解放されました
おめでとうございます。
自己というものは何処にも居ないとわかっても、
じゃあ何をすれば良いのか?という疑問は
湧いてくると思います。

何をするのか?という時点で新たな自己が
作られます。何かしようと思って財布を開けたら
一万円しか無い場合、出来る事は限られてきます。

これは別に一万円しか無いことが悪いとかではなく、
何をするか?の時点で何かしらの枠が必要なので
結局の所、出来た枠を自己と感じますし、その枠が
無いと何をするかという事自体が出来ません。

ですから自己が居ない→何をすっぺ? ではなく
自己が居ないとは、あらゆるものの起点で
あるという事であります。

何かをして働きかけようとする自己は、もう居ないの
ですから、何かが起きる起点で在れば良いし、
それ以外には何もありません。

こうして世界の中にあなたが居るのではなく、
あなたという起点から世界があるのが
わかりました、おめでとうございます。


と、これで終わるとあまりに素っ気ないので
もう少し続けますが、前述したように一万円しか
無いと、その枠の中で色々考え出します。

例えば十万円欲しいとか、あるいは全品半額に
なってくれとか、要は「私は一万円である」という
枠の中で生きるのであります。

別にそれは悪いことでは無いです、ただ「私は一万円」
はあくまで自己と感じる概念であると気付いている事が
肝要であります。

ちょっと話が逸れますが昔の知り合いで
「俺は物欲も無いし独身だから最低限生活出来れば
それで良い人間なんだ」
とか慎ましい事言ってた奴が、
ダメ元で買った宝くじで結構デカい額が
当たったんですよ。

そうしたら人が変わったように車だ何だと
物欲の塊になっちまって、「やっぱり高級車は加速が
違うぜ」
とか言ってんですよ。

つまり彼自身の「少ない生活費で十分な
人間なんだ」ていうのも彼が勝手に思い込んでた
枠で、カネが入って来たらその枠がぶっ壊れて
「高級車最高や!」みたいな新たな枠が出来て
それを自己だと思っているのであります。

どっちが良いとか悪いとかではなく、
要は自分で自分を洗脳して、夢の中で夢と
気付かずに生きているんですよ。

ですから自分はこうだ、とか決める必要は
全くありません。

私も自分は超が付く面食いだと思ってたら、
何故か顔も性格も悪い女性と一緒になって、
挙句のはてに子供まで出来てしまいました。

でも良いとも悪いとも思いません、
それこそが起点の在り方であります。
読者の方から「私は如何にして成功者になったか」
という興味深いメールを頂きました。
ありがとうございます。

その方は以前は常に欠乏感に苛まれ、
かなり辛かった時期もあったそうですが、
ある時に自分が全く病気も怪我も無い健康体で
あるという当たり前の事に気付き、そこから
「これだけ健康で、毎日仕事にも行ける自分は
成功者である」
みたいに自分は成功者であると、
何でもかんでもこじつけしまくったら仕事も
プライベートも上手く行くようになったとの
事です。

風邪ひいた時も「このタイミングで
十分休養出来る私は何と恵まれているのか」と、
39度の熱があっても成功者だったそうです。

以前も書きましたが、これはアパートの一階から
三階に上がったようなもので、アパート自体は何も
変わっていない
のですが、見ている景色を
変えただけで同じアパートの中でも全く違うように
見えるようになるという事であります。

潜在意識どうこう言う人は、
若さとか健康とか普段から常に在って
当たり前みたいなものを無視して、
足りないものばかりにフォーカスし過ぎな
感があるので、まずは足りているものを
知ることが肝要だと思います。

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