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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「何も気にせず人生を楽しめと言われましたが、
私はとても楽しむ気にはならない。
人生を楽しむなんてデキッコナイス」
というメールを頂きました、ありがとうございます。

語弊がある言い方ですけど別に楽しまなくても良いと思うんですよね。
そもそもスピリチュアル的な気付きを得て、
さあ人生を楽しみましょうっていうのは、
「スーパーマリオのプログラムを解析した、我々はマリオではありません。さあゲームを楽しみましょう」と言ってるのと変わんないんですよ。

それでマリオをやり出したらクリボーに
激突したりカメに喰われたりして、
「カメに喰われない方法は無いか」と
言い出して同じ事の繰り返しであります。

マリオでは無い、であるならば
何故マリオをまたやり出すのか。
結局はゲームを上手くやる事が前提に
なってしまっているわけですね。

スピリチュアルで人生を楽しもうっていうのは、
気に入らない奴や、おっかない嫁さんをブッ殺して人生を楽にしたいと言ってるのと同じです。
どちらもゲームをいかに上手くやるかが
前提になっているからです。

つまりゲームの中に居ながら必勝法を探している
状態です。

そうではなくて、もうマリオでは
無いのだからゲーム自体を予測とか何だとか
しなくて良い
んですよ。
勝手に予測して「あそこはハンマーブロスが
大量に出て来るから」とか
心配しなくて良いという事です。

マリオじゃないんだからハンマーブロスだろうが
ジュゲムだろうが何が出ても良いんですよ。

冒頭の話に戻りますが「人生を楽しむ」と
いうのは、楽しむ私が存在するわけで、
そうなると当然人生ゲームを楽しむ方法を探す事になります。

だから楽しもうとかどうでも良いです。
言葉では表現しづらいですが、
人生なんて存在しないのであります。
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「思いが実現する」けど「起きる事はある程度決まってる」ていうのはよくわからない、
引き寄せの法則とか何なの、というメールを頂きました。ありがとうございます。

仮に三階建てのアパートに住んでいるとして、二階の住人が「天井ぶち抜いて屋上行きたい」と
思っても、これはあり得ません。
つまり思い(屋上行きたい)は現実になり、起きる事(天井をぶち抜くのはあり得ない)は
決まっている
、と言えます。

しかしここで重要なのはこれがもし三階、つまり最上階に住んでいるなら屋上に行くのは
あり得るし、実際にそのような事も出来るでしょう。
つまりそれぞれの階で思う事も起きる事も決まっているということであります。
全ての事象は、それぞれの階層において完璧に引き寄せられているわけですね。

一階は二階に、二階は三階に全て支配(?)されているとも言えます。
では二階の住人は一度も屋上に行けないのか?そんな事はありません。
何故なら三階建ての建物の中で「自分は二階である」と感じているだけで
、実は三階も屋上も一つの統合体(?)として在るからであります。
つまり全ては統合体の意志であって、それはイコール己自身です。

起きる事や感じる事全てに感謝して抵抗しないとは、統合として在る事であります。
そうすれば、一階とか二階の住人としてではなく、アパート全体としてのモノが
引き寄せられてくるように見えるでしょう。
前も書いたかもしれませんが何故、不快感を感じたら
それと一体になる、感じきる事が良いのでしょうか。

簡単に言うと不快感と一体になれるという事は、
それ(不快な事)よりも一段高い意識(?)に居るという
事であります。

例としてお金の話になりますが、
極端な話、十円の出費は別に不快でも何でも無いと思います。
しかしながらこれが一万円以上になると、やや不快に
感じる人も居るかもしれません。

これをよく見てみると、十円は別に不快でも何でもないッス、
という人は十円ぐらいいつでも財布にある、という
事ですよね。

「十円ぐらい仕事だの何だの全然考えなくても持ってますよ」
と、いう事はスピリチュアルっぽく言うと引き寄せていると
いう事です。
つまり引き寄せだ何だって言うのは不快感を
感じないものはほぼ勝手に寄ってくるんですよ。

磁力の強度によってくっついて来るものが増えるのと同じで
意識の強度(?)によってくっついて来るものが勝手に
決まるのであります。

ですから不快感を感じるものに対してはお金とかでも何でも
不快感と一体になると良いのであります。方法としては
瞑想とか不快に感じる自己を見つめるとか色々ありますが、
要は不快感との分離をしない事が肝要であります。

「神でもすき家でも何でも良いですが、全てを委ねる事が
重要だと思います。
しかしながらどうすれば良いのかわからない」
というメールを
頂きました、ありがとうございます。

全てを委ねるにはどうすれば良いのか、
それは単純に根拠の無い自信を持つ事であります。

しかし、「根拠の無い自信を持ってナンパして玉砕したら
どうしよう」
という感情もあると思います。

しかし、根拠の無い自信を持ったのですから、失敗にも特に
根拠は無いのであります。
根拠が無く自信を持ったのですから、上手く行かない時にも
根拠を求める必要はありません。

つまり、如何に普段から根拠を求めて
しまっているかという事です。

根拠無い自信は持てるのに、上手く行かないと根拠のある
不安を求めてしまっている
んですよ。
これでは本当の意味で委ねている事にはなりません。

根拠無く委ねるなら、あとは全てにおいて
根拠を求めない事です。
たまに例に出しますが、ルビンの壺は向かい合ってる顔があるから壺があり、
壺があるから顔があるように見えるわけであります。
これと同じで自己と感じるものも、あるように感じるだけで実際は存在しません。

で、願望だ何だというのはこのルビンの壺の向かい合ってる顔、
または壺がビョーンと伸びているようなもので
これは顔からしても不快であり、壺から見てもやはり不快であります。

しかしながら全体として見た場合、やはりルビンの壺は成立しているわけで
このビョーンと伸びているのを認める、または許すとか手放すとかも言われますが、
とにかくそれでよろしいとすれば不快に感じる顔も壺も統一され、
幸せになるのであります。

つまり願望でも神様でも悪魔でもそれらは現れるコンテンツに過ぎません。
重要では無いのです。

ですが、顔から見たら壺が妙に曲がっているとか感じますし、
壺から見たら顔が不細工になっているとか感じるわけです。
だから重要だと錯覚するわけですね。

ですから願望の実現とは、顔から見て不快な壺をぶっ壊す事ではなく、
または壺から見て不細工な顔面を破壊する事でもありません。
何故なら顔と壺はお互いがお互いを成立させていると同時に存在もしないのですから
破壊は不可能なのです。

出来る事は、壺と顔を統一してこれで良いのだとバカボンのパパのようになる事です。
願望という形を取った不快を取り込むのであります。

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