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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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スピリチュアルでよく出てくるのが感情と向き合うとか
思考がどうのこうのというものですが、そもそも感情とか
思考がよくわからんという方が多いと思われます。
なので今回は感情や思考との同一化を解消する簡単な方法
を伝授いたします。

スピリチュアル系は思考や感情に注目しても肉体に
関しては幻だ!の一言で片付けてしまうきらいが
あるので、あえて肉体に注目する方法ですが、
ざっくり言うと身体が緊張するとか何らかの反応が
あるのは感情、身体が何の反応もしないのは思考

である事が多いです。

例えばこの野郎ブッ飛ばしてやると思えば普通は身体は
緊張します、つまり怒りの感情です。
それに対して今日昼メシ何食おうかなとか考えている時は
特に身体に何の変化も無いはずなのでこれは思考
なります。

逆にブッ飛ばしたるわと思っても身体はリラックス
している場合はブッ飛ばすという物騒な事を冷静に思考
している状態であり、一流の格闘家なんかはこの状態に
なっているのではと思います。

また、仮に「昼メシ」という単語で身体がガタガタ震えてくる
とかだとこれはトラウマワードの可能性がありますので、
この方法で何が潜在意識的にトラウマになっているのかも
わかるという優れモノであります。
ちなみに私は「嫁さん」というワードで急に恐怖を感じて
身体の震えが止まりません。

つまり大雑把に言うと身体の反応があるか無いか
感情なのか思考なのか判別出来るようになるので、
逆に言えばこれは感情的になっているとか
単なる思考だとか、あるいはトラウマを常に握りしめて
いるとかを眺めている形になります。

眺めているということは取りあえず感情や思考との
同一化が解消されるという事で、つまり感情や思考
を取っ掛かりとして現れる自己とは実は自己では無い
、という事がわかるのであります。
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「スピリチュアル系の書籍やブログを読んで自我が安定 した来たように
思うのでこの方向で良いのか?」
的な
メールを頂きました、ありがとうございます。

別に間違っているとかの話では無いですけど基本的に
自我を安定させる、というのは本来動いているものを
無理矢理固定させている感じになるのであまりお勧め
しません。それよりも積極的に敢えて自我に揺さぶりを
かけていく事をお勧めします。

自我を安定させるって要は海を一切波立たせないように
したいと言ってるのと同じで、基本的に無理です。
が、しかしいくら激しく波打とうが波が消滅しようが
海自体は必ずあるわけで、というか波というのは水の
形態が変化しただけなので波と海は切っても切れない
関係にあります。

確かにスピリチュアルに傾倒すると精神的に安定し、
あまり動じなくなるという効果はあるかもしれませんが
あくまでそれは海が前ほど波打たなくなった、という
だけの話で別に目覚めたとか覚醒したとか大袈裟な話では
ありません。あいつは若い頃は暴れん坊だったけど
所帯持ったら何か落ち着いたねと基本的には同じです。

本質は波の動きや形状よりも、決して無くならないし
決して波と分離しない
海の方であります。

そして波とは海の一部が変化した状態を一時的に波と
言っているだけです。
ですから自我を安定させようとか思わずに、これは波の
ごとく揺れるモンだと、ゆらゆらしていれば良いです。

もっと言えばこれは個人の自我云々を超えてあらゆる物の
顕現と消滅に通じるものです。
波が出来ればそれを生を得たとか表現し、波が消えたら
亡くなったとか表現されます。
しかしそれはあくまで海の形状が変わっただけで海は常に
ある
ので、誰も何も生まれてはいないし、そして居なく
なってもいないし、死んでもいないのであります。
「スピリチュアルで言われる"自己も何も無いよ"と、
"でも潜在意識とか認識が変更されるとかは有るよ"は
矛盾していないだろうか。自己が無いなら潜在意識とか
認識そのものを認識する事も出来ないやんけ」
という
メールを頂きました、ありがとうございます。

これは非常に鋭い。というかスピリチュアル系でも
自他の区別が無いと言いつつ世界は神の顕れであるとかの
表現もあって、これも区別が無いはずなのに神が
顕れちゃったら何かおかしくね?となりますよね。

要は"本来は何も無い"はずなのに潜在意識に刻むとか
神様に願うとか"対象"が出て来るのは何でっつー事
なんですが、これはそういった対象と向き合う事で
結果として自我が消えていくプロセスみたいなモン
ですね。

ただこれだけだと分かり難いと思うので見方を変えると、
これはお金とか強く自我を刺激するものに向き合うと
感覚的にわかるかもしれないです。

例えば投資でも博打でも何でも良いですがお金が増えたり
減ったりするものに向き合うと、最初はとにかくお金を
増やすという事ばかり考えがちですが、その内に今度は
損失をいかに減らすかとか利確のタイミングはどうする
とか色々やり出すんですよ。

それでまあそれなりに儲かったら儲かったで
「俺はお金よりも世間に認められたかったのだ」とか
急に悟ったような事を言い出したり、その反対に大きな
損失で多くを失った後に「自分は家族と居る事が第一で、
大きな儲けなんて無くても家族と生活出来れば満足
だったんだ」
とかこれまた悟ったような事を言い出して
めでたしめでたし(?) みたいなパターンがあります
けど、これなんかも自我を抑える為に色々やり出して、
結局抑えるものなんて無かった、と知るわけであります。

これは仏教なんかでも確固たる存在を持つものなんて
いないよと教えておいて何故かナントカ菩薩とか〇〇如来
とか沢山のキャラクターが湧いて出て来るのに近い
ですね。これはいきなり「確固たるものはいない」と
言った所で受け入れるのは難しいので、菩薩とか如来とか
自我にとって味方と感じられるキャラクターを創造して
それらに帰依させる事で、実は帰依をしている者など
最初からいなかったのか!と気付かせるというよく出来た
プロセスだと思います。
私は特に仏教に詳しいわけではないですが、浅学の限り
では仏教は宗教ではなく最古のメソッドだと感じますね。








ここからは完全に余談で仏教で思い出したんですけど、
私が小学生ぐらいの時に連載されてた漫画「孔雀王」
知った知識だと弥勒菩薩ってお釈迦様が亡くなってから
56億7000万年後に人類を救う為に出て来るとかで、
その日に備えて修行してるんだかパワーを充電してるとか
だったかですよね(?)

修行の効率がクソ悪いのか充電器の性能が低いのか、
それとも56億7000万年後に現れる人類の敵がフリーザ
とか鬼舞辻無惨みたいな相当な強敵なのかはわかりません
が、56億ってそんなの待ってられんやろ、アホちゃうかと
少年だった私は思ったんですが当時ノストラダムスの
大予言で1999年に人類滅亡がまことしやかに言われて
いた時期だったので「いやちょっと待て、てことは人類は
取りあえずあと56億7000万年近くは滅亡しないっつー
ことやんけ」
と気付いて何か安心した思い出があります。

まあそれでも56億7000万年後ってブッ飛びすぎやろと
いうのは今でも変わりませんが。
いや別に弥勒菩薩を批判する気は無いんですけど、
急に思い出したんでスイマセン。
「スピリチュアル系に限らずプラス思考の方が良いみたい
な風潮が以前からありますが、自分のようなマイナス思考
の者は無理矢理プラスに持っていくのがツラいので
何とかして」
的なメールを頂きました、ありがとう
ございます。

これはまあプラス思考というかポジティブな方が普通に
気分良いよねというだけで無理矢理変える必要は無い
ですね。思考繋がりで言うと思考って何で湧いて来るのか
とかどっから来るのかという話がありますけど
「知っているから」出て来るわけです。

例えばスーパーマリオでAボタン押すとマリオが腕を上に
向けてジャンプするのはそのようにプログラムされている
からですけど、マリオからしたらジャンプの仕方を
「知っているから」ジャンプするわけで、思考というのも
それを知っているから出て来るわけであります。

つまり話を飛躍させるとポジティブが良いとかプラス思考
にしろとか瞑想しろとか今に在るとかの知識も、
或いはそれに対して何か色々あってワカンネみたいな
疑問も、新たに得るものではなく「知っているから」
なんですよ。

なのでスピリチュアル的にカッコよく言うと
知ろうとしている者と、知った者の間にあるものは
何か?
という事になります。
「スピリチュアル系で世界は自分でウンタラカンタラと
言うのがよくありますが、やはりこういうのは視覚を
通じて得るものだと思うので仮に全盲の人でも同じ境地?
のようなものになれるのか」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これは鋭い質問であります。
ただ全盲の方でも特に問題は無いです、何故なら世界は
ウンタラカンタラというのはものすごくざっくり言うと
全て実在せずに"機能の顕れ"だというのを知ること
だからであります。

例えばこれ前も書いた記憶があるんですけど、
関節という物体は存在しないじゃないですか。
肘だったら前腕の骨と上腕の骨がぶつかった所でお互い
曲がる機能のことを便宜上肘の関節云々と言って
いるわけで、肘とか肘の関節という物体があるわけでは
無いですよね。

それと同じで観るという行為も眼球の機能であり、
あくまで機能の顕れであってそこに物体があるわけでは
無いです。

存在しないものが存在するように振る舞うのが機能
ですから、観るという機能が元から無い状態でも
スピリチュアル云々の場合なら特に問題は無いと言えば
無いです。

もうちょい話を深掘りすると「私の自我がウンタラ
カンタラで困っている」
みたいな話をする方もたまに
居ますけど、これも同じことで自我っつーのも機能の
顕れなわけですよ。

なので自我を消すとか落ち着かせるというのは前述した
関節の例えで言えば肘を消すとか膝を落ち着かせるとか
言ってるのと同じで、無いものは消せないんですよ。
関節はあくまで機能であると知っても別に肘が
飛んで消えるわけでは無いですから自我の消滅というのは
機能であると知ることであって、自我そのものが消えて
無くなるわけではないです。

ですからだいぶ昔の記事でスピリチュアル的な気付き
みたいのを得てもいきなり聖人化したりキャラ変するのは
あまり無いし、逆にキャラ変し過ぎはヤバいかもしれない
というのを書いた気がしますが、これも肘の関節が元から
太い人が、肘は機能やったんやと気付いた所で肘が
細くなるわけではないのと同じです。

つまり"何も変わらない"のですが、認識は明確に
"変わっている"わけで、物体として存在するものは
何も無い、と知っている状態と言えます。

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