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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「スピリチュアルでよく言われる事は
いわゆる離人症の状態になる事なのか」
という
メールを頂きました、ありがとうございます。

離人症って調べてみると早い話がパニック障害や
うつ病の一種でもあるみたいですね。

これはスピ系で言われているものとは
明確に違うと思います。ただ文章で書くと
現実離れした感が何となく離人症ぽい印象を
与えてしまうのかもしれないですね。

離人症は自己の感覚が他人のように感じたり、
自己が幽霊になって見下ろしているようにも
感じるらしいですが、これは確かに自己という
感覚にとっては不快ではないかと思います。

つまり今まで自己の肉体という感覚で
世界と接していたのが、肉体を離れた感覚で
世界と関わるようになった状態と
言えるかもしれません。

あんまり例えが良くないかもしれませんけど
麻雀でテンパってる時に相手がリーチして来て
その時はオリを選択したけど、勝負してれば
次のツモで和了ってた、次の局はテンパイも
出来ずにあっさりツモられて2着で
終わってしまった。これを肉体の感覚を
通して経験しているのが通常(?)で、
離人症はツモってる指とかを自己だとは
感じないけど、経験自体はしっかり経験している
状態と言えるかもしれないです。

スピ系で言われる奴だと経験自体が存在しないと
いうか、物語に自己が介入していません。

先の麻雀の例で言えば、肉体という感覚を
通じようが肉体から離れていると感じようが、
勝負しなかった故に和了りを逃して
逆転されたっつーゲームの展開に個人が
ガッツリ介入しているわけですが、
この展開に個人が全く介入しなければ
果たしてこの展開自体が本当に存在して
いるのか、という話になります。

結局の所、全ての物語は介入している
個人の中にしか無い
からです。

映画の世界はDVDやスクリーン内に確実に
存在していますが、同時に何処にも
存在していないのと似ていますね。
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「スピリチュアル系の本やブログを見始めて
穏やかになりましたが、職場は結構殺伐と
した所で、アグレッシブが求められるので
今の穏やかモードと仕事が合ってない感じで
困っています」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

結論から言っちゃうとスピリチュアルを知って
穏やかになるっていうのは副産物みたいなもので
実際はあまり関係ありません。

心が落ち着くとか穏やかになったというのは、
単なる状態に過ぎないのであります。

これはドラクエで状態が"どく"から"まひ"
なったようなもので、本質的なものでは
ありません。

要は勝手に先の事を予想したり期待して、
ああでもないこうでもないと自我が
行ったり来たりするのが問題なわけで、
アグレッシブな仕事だろうがボーッとして
やる仕事だろうが、起きる事は何の問題も
生まないし、また何の幸運も生まないと知れば、
結果として本質的なものに帰属する事に
なるのであります。
昔の知人に久々に会ったのですが、
彼は超が付くほどの麻雀好きで、一時期
桜井章一さんで有名な雀鬼会の道場に
在籍していた時期もあったと記憶しています。

で、何となく雀鬼流に興味を持ってちょっと
調べてみると、打ち方に様々な制約が
あるんですね。

これらの制約は麻雀というゲームで勝つには
かなり非合理的な制約と思いますが、
わざと制約を課す事で、前回の記事にも
書いたような"正しい事である"という思い込みを
外す事を狙っているのかなとも感じました。

YouTubeとかで見れる雀鬼会の皆さんの対局も、
麻雀やってるというより何か宗教的な修行の
ような空気ですし(しかもツモってから
切る速度がバカみたいに速い)

個人的には雀鬼流は麻雀が強くなるというより、
麻雀打ちとして強くなる
事を目指して
いるのかなあという印象です。

麻雀打ちとして何事にも動じないようになれば、
自然と勝ちは転がってくるという境地に
達するのを目的としているのでしょうか。





ちなみにだいぶ前の記事でも、
桜井さんについて書いているのですが、
この時は特に雀鬼流に関して調べてないので
かなり適当に書いた感が伝わって来ます。

この過去記事でも言及している桜井章一は
元コーヒー豆の輸入業者
っつーのは
本当なのか否か今だにわかりません、
情報求む。
「良い事を期待していると結局は現状が
あまりよろしくない事を肯定しているのと
同じなので、あまり期待するのは良くないの
でしょうか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

スピリチュアル系の話とか本とか読んで
期待するなって無理があるかもしれませんが、
基本的に期待とか希望って持たない方が
良いですね。

別にこれは絶望しろと言ってるわけではなく、
最初から期待も希望も無ければ絶望もありません

特に希望はポジティブな響きがある分、
厄介であります。
希望っていうのは未来の事しか考えてないわけで
この時点でもはや勝手な思い込みの世界を
生きている
事になります。

私の知人でいっつも株価を見て持ってる銘柄が
上がった下がったで大騒ぎしているのが居ますが
彼の場合持ってる銘柄が大幅に下がると、
さっさと売れば良いのに色んなチャートだの
ヘチマだの、まだ大丈夫とかここで下げが
止まるとか著名な投資家がまだ保有してる
からとか、ありとあらゆる希望を見つけて
来る
んですよ、スピリチュアルぽく言えば
この時点で今に在ってないので、彼はいつも
自らが作った希望と一人で喧嘩をしている
ようなものです。

ですから語弊がある言い方ですが、
希望なんて捨てるものなんですよ。
期待や希望は本来の見方を曇らせて
余計に迷い道に入る罠みたいなものです。

逆説的ですが、スピリチュアル的な気付きだの
何だのを得れば何かが変わる、と期待している
場合、今すぐ期待するのをやめる事です。

「じゃあ何も変わらんやんけ」と思うかも
しれませんが、だからこそ気付ける(?)
のであります。
これは同極の磁石をくっつけようとしても
くっつかない事で、目に見えない磁力を
感じる事が出来るのに近いかもしれません。
「スピリチュアルでよく言われる在るとか
存在するというのがわからない」
という
メールを頂きました、ありがとうございます。

そもそも在るとはどのような状態なのか、
これは例えばスイカの皮があって実があって
種があって、そしてスイカの味がありますが、
スイカの味は目に見えないしこれが味ですと
示す事も難しいですよね。

しかしスイカの味は存在する、存在しないように
見えるけど存在する
という感じであります。

つまり世界とは誰かの口の中で、味とは
本来一つの感覚なのですが、口の中でこれは
スイカとかこれはリンゴとか判別している状態であります。

その中で最も強く感じる味を自己とみなしている
わけであります。種類の違うアメをいっぺんに
口に入れても甘い方に強く意識が行くのと
同じようなものです。

しかしまず意識が「ここは口の中である」
意識が意識しないと(?)スイカがどうのこうの
という概念も出て来ません。

つまり意識以前に口の中は最初からあるので
あります。
ですから「在る」という感覚すらも口の中に
依存している感覚です。


なので全ては後付けで生まれているものに
過ぎないと、知っている知識すら一つずつ
否定していくべきであります。

そして最後に描写も説明も出来ない物が
残ります。

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