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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「私は正直言ってあまり頭が良くないと自覚している
のですが、私みたいのがもう少し賢くなりたいと思って
スピリチュアルに手を出すのは危険でしょうか」
的な
メールを頂きました、ありがとうございます。

頭が良くても悪くてもスピ系に手を出さない方が良い
ですが、それだと元も子も無いので頭の良し悪しは
スピリチュアルにおいてどうなのかという点で話を
進めますけど結論から言うとバカでも◯ョンでも
大丈夫
です。
誰とは言いませんが某スピリチュアルブログの著者も
Fラン卒を公言していますし。

そもそもスピリチュアル的な世界観(?)だと
ゲームと同じで天才キャラもバカも居ますから
個人レベルで賢いとか賢くないとかどうでも良いんです
よ、ただそうは言ってももう少し賢くなりたいとか
何かを得たいと思うのは別に間違ったことでは
ありません。

なので逆転の発想で"求めない"ことが肝要であります。
何かを求めるっつーことは、この場合賢くなりたいとか
になりますが、これだと言い方悪いですけど自分はバカだ
と言っているのと同じですよね。

しかし賢さを求めなければバカでは無いということに
なります。つまり最初から求めなければ既に存在する
という逆説的なオチになるのと、求めだすとどうしても
自我のレベルで細かい注文をつけてしまうのもあまり
良くないですね。学歴は最低でも旧帝大とか職場は
上場企業じゃないとダメだとか結局色々なパラメーターに
左右されるゲームの世界から離れようとしているのに
ゲームの世界に戻ってしまうということになります。

話が逸れますけど個人レベルの頭の良さってこれからは
AIという人類を大きく超える天才がスマホに常駐する
ような時代になっていくと大した問題にならないと
思うんですよね、まあソシャゲみたいに課金額で
差がつくかもしれませんが人類はあらゆる面でフラットに
なっていくと思います。

この人は何かを持っているけど私は持っていない、
みたいなものが無くなっていくと結局は私という存在が
消えていくので、最終的にエヴァンゲリオンでやってた
人類補完計画みたいになっていくのかなぁとか個人的には
思いますね。
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「ドラッグ等で意図的に心身の調子を狂わせると
いわゆる覚醒的な体験は出来るのか?」
的なメールを
頂きました、ありがとうございます。

これかなり昔にも同じこと書いた気がしますが基本的に
ドラッグ系でハイになってもあんまり意味無いんじゃ
ないかと思います。

結局の所、気分がどうなろうが漫画やゲームの登場人物
がハイになったり鬱になったりしているのと同じですし
、スピリチュアル的に言えば登場人物という自我に
気づけ!みたいな聞き飽きた話になります。

ただ意図的に心身の調子を狂わせるというか変化させる
ならメッチャ気持ち良くなるかメッチャキツいかの両極端
が良いと思います。

例えばS◯X最高や!とかなってるともう全てが
気持ち良くなって自他もクソも無くなりますし、
逆に滝浴びとかクソ寒いのを我慢していると全てが
クソ寒くなってクソ寒いのを俯瞰するようになるので
その状態を経てハイになったり鬱になったりしている
登場人物から抜け出せるという事はあるかもしれません
が、この手の方法は何か一時的なのが多い気がします。

まあ気持ち良いのもキツいのもそこから解放されると
賢者タイムよろしく一気に元に戻りやすいというのは
ありますね。

ここで急に思い出したんですが似たような話で最近話題の
某ショートスリーパー氏がまだ有名になる前に
「寝ないでいることで修行的な感じになって何らかの
状態になれると思いますか」
みたいなメールも頂いた
ことがあるんですけど、これはどう考えても寝た方が
良い
でしょう、つーか寝ろ。

そもそもショートスリーパー氏は一週間一日30分睡眠
ライブに挑戦とかやってましたけど日常的にショート
スリープしてたなら挑戦という表現がおかしいやんけと
思いました。
普通の人が晩飯チャレンジとかお風呂チャレンジとか
言わないでしょ。

というわけでまとまりの無い内容でしたが個人的には
スピリチュアル的なものを求めて心身を追い込むのは
危険性の割りにはあまりリターンが無いんじゃないかと
思います。
「私は裕福な家に産まれたせいか特に頑張ることもせずに
生きてこれた。しかし社会通念上や一般常識と
照らし合わせて罪悪感や社会との軋轢を感じ、頑張って
みたら上手く行かず、適当に仕事を辞めたりしている方が
何か色々上手く行っている。社会的に褒められたモンじゃ
ないがこういうのがスピリチュアル的に言うとキャラ設定
に合わせるということか?」
的なメールを頂きました、
ありがとうございます。

これ別に良いんじゃないですかね?
前に似たような内容のメールで「実家が裕福なのでいい歳
こいて仕事はバイトだけであとは小遣いもらってるけど
私はこのままで良いのか?」
みたいなのもあったんです
けど、逆にいい歳こいて小遣い貰えるってヒジョーに
羨ましいんですが。

実家が裕福とかあるいは貧乏って個人ではどうしようも
ない部分なので、ある意味そういった初期設定の下に
生まれたのであればそれはそれで良いと思いますし、
変に社会通念とか一般常識とか人様に迷惑かけてないなら
気にしなくて良いんじゃないかと思います。

結局なる様にしかならんのだからだったら一番ストレスを
感じない道を行けば良いんじゃないかと思うんですよね。
ストレスを感じないっつーことはつまり今に在る、
今に集中しやすいとも言えますから。

逆に社会通念とか世間体とかがどーしても気になって
それがストレスであるというなら真っ当に働けば良いし、
別に働いてるから偉いとか働いてないから偉くないとかは
関係無いです。

このままで良いのか?というよりこのままで行くしか
無い
んですよ、ストレスフリーで満足しているならば
社会通念もクソも気にせず行き着く先まで突き抜けて
ください。






つってもウチの娘が将来
(・∀・) 私、働かないからパパよろしく!
とか言い出したらさすがにキレると思いますが(笑)
「スピリチュアルとか引き寄せを科学的に解明、
みたいなものは昔から結構ありますが本当に科学的に
解明出来るものなのか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これは出来ると言えば出来るし出来ないと言えば出来ない
ですね。別にこれが本当でこれは嘘だとかの話では無く、
スピリチュアルというか意識というのは
全てを内包しているのでそこに顕れるだけです。

例えばオンラインゲームで謎の現象について登場人物
たちがああでもないこうでもないと調査して、
最後の方でこの現象の正体はこれだったのだ!とか
判明してめでたしめでたしな話があったとしても、
その謎の現象とはあくまでゲーム内の現象であり、
ゲーム内の科学で解明したという話であります。

ですからスピリチュアルを科学的に解明でも、
或いは世界中の宗教に共通するものから読み解くでも
別に間違ってはいないです。

ただそういった試みも全てゲーム内のお話しという概念
からは逃れられません。当然このブログもゲーム内の
オッサンが気まぐれで書いているだけで別に真理を
示しているわけでも何でも無く、ゲーム内のオッサンが
ゲーム世界の出来事を書いているだけという事で
あります。

つまり何らかの概念を用いてもそれは必ずゲームの中の
概念になってしまうので厳密に言えば間違っているの
ですが、間違っているからこそ結果的に解明出来るとも
言えます。

ややこしいですが例をあげると眼球は眼球自身を見ること
は出来ないですが、眼球を動かしたり瞼の上から触ったり
すると何かしら球状の物体があって、それが動いていると
いう正解が浮かび上がるのに近いです。

ですから繰り返しになりますが科学の力で解明も
宗教パワーで解明も眼球自身が眼球そのものを見れるわけ
では無いので正確なものではありません、あくまで
正解の"輪郭"を示すだけです。

だから何なんだと思うかもしれませんが、
スピリチュアルを解明しようという考え自体が眼球の例で
言えば眼球をグルグル回したり遠くを見たり近くを見たり
しているのと同じなんですよ、つまり最初からそこに居た
のであります。
沖縄から帰ってきましたが私が娘と遊び呆けてる間に
熊本では地震があり、食料品の消費税は1%になりそう
だし、ちいかわの映画が大ヒットしたり、ひろゆきが
政党を結成したりと世の中は激動しているでは
ありませんか。
我々は激動の令和に対し為す術がないのか?
このまま時代の荒波に飲まれていくしかないのでしょう
か。

しかしスピリチュアル的な見方で言えば我々はスクリーン
に物語を映している映写機であり、激動の時代も全て
己の中に在ると言えます。

同時にスクリーンに映し出されている映像は当たり前
ですがどんなにリアルでも実在はしていません。
例えを変えるとこれは前も書いた記憶がありますが、
関節というのは機能であって関節という何かしらの物体が
存在するわけではない
ですよね。
普段肘の関節と呼んでいるのは前腕の骨と上腕の骨が
向き合っている部分において生じる機能であって、
肘の関節という物体が存在するわけではないですが、
肘の関節というものは存在しているかのように感じ
られます。

これは存在していないんだけど存在しているとも感じられ
るという中間の状態ですね。
無理に「私は在るのだ」とか感じる必要も無いし、
逆に「私は居ない」とか言う必要も無いです。

在るとか無いとかは棒を二本使って向き合わせると
関節みたいに見えるから関節は在るのだと言ってるのと、
そうは言ってもそれは棒であって関節は無いやんけと
言っているのと同じです。

つまり在るとか居ないとかどうでも良いんですよ、
ある時は存在し、ある時は居ない、そこには機能だけが
存在し経験する者は何処にも居ないのであります。




余談ですけど私の勝手な予想だと令和は後の歴史からは
昭和に次ぐ激動の時代と言われるような気がします、
これはもう完全に勘ですけど。
何か色々見てるとそんな気がするんですよねぇ。

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