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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「世界との一体感を感じ世界から敵が
いなくなりましたが大金は欲しいでござる」

という欲があるんだか無いんだかよくわからない
メールを頂きました、ありがとうございます。

敵がいなくなるという事は早い話が
あらゆるものの重要度が下がる、要は
信じなくなったという事ですよね。

子供が何でオバケを怖がるかというと
オバケを信じている事で、概念としての
オバケの重要度も上がっているからです。

これが成長と共にオバケは実はいない
やんけとわかってきて、同時にオバケという
概念が重要でなくなってくるので、
少なくともオバケに関してはいつの間にか
怖くも何ともない平穏が訪れているという
事になります。

これと同じで大金云々はお金を信じて
重要度が上がっているわけであります。

まあ最後まで"信じる"のは大体お金と
なんですよ、ですからせっかく世界から
敵がいなくなったというならこの際お金も
命も無くしてしまえば良いと思います。

そうすると世界も無くなるでしょう、
世界が無くなるなら、お金も命も重要では
無くなります。例えば夢から覚めると夢の中で
出会った人もお金も全て消えて無くなりますが、
だからといってその失った世界を気にする事も無いのと同じです。

重要度が無くなれば何かを成そうとか
得ようというのも無くなります。

結構前の映画ですがマトリックス
「速く動こうとするな、速いと知れ」
いう台詞がありましたが、最初から重要なものが
無いと知れば、得るという事も無くなり、
そして対になっている失うという事も
無くなります。

何かであろうとするな、何かであると知れ、
ということです。
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スピリチュアルに多いので不快感を
受け入れてどうたらこうたらというのが
ありますが、そもそも不快とは何ぞやと 
いう話であります。

基本的には内面と外面の不一致が不快感を
生みます。例えば共産主義に傾倒した人物は
自民党の政治家を見かけるとムカつくかも
しれません。つまり共産主義最高や!という
内面と、外面に現れた自民党が一致しない

ものなので不快な感覚になるという事です。

「じゃあ全ては自分であるとかヘチマだとか
内面と外面の一体化を目指せば良いのですね」

となるかもしれませんが、ここが落とし穴で、
不快感をどうにかする為にスピリチュアルでも
宗教でも何かを学ぶというのは一見すると
合理的に見えますが、それはあくまで不快な
ものからの防御を目的としたものであります。

つまり博打に勝つならハートを鍛えろとか
度胸をつけろとか言っているのと同じです。

しかし何故鍛える、あるいは学ぶ必要が
あるのだろうか?
という観点から見ると、
当たり前のように感じますが何かが足りないから
という事になります。

世の中の色々な事から不安を感じるなら
気づきでも悟りでも何でも良いから身につける、
博打ですぐにビビってしまうから度胸を
鍛える、これは確かに合理的で何の間違いも
無いように思われます。
しかし博打ならばどんなに負けても自分の身内が
無尽蔵にお金を出してくれる状態なら
そもそも度胸を鍛える必要もありませんし、
世の中の様々な事が不幸で無くなれば
不幸に耐える必要も無くなります。

何かを学ばなねば、鍛えねばというのは
裏を返せば常に不足の方しか見ていないと
いう事であります。

つまり損失を常に気にしているという事です。
博打で負けるのが不快だったり株を
損切り出来ないのは、損失を取り戻す事が
出来ないかもしれないという
損失への強い意識です。

しかし損失が無ければ得する事も無いのですから
損も得もあると受け入れるのが、
全て在ることの前提となります。

全てが在るとは、あらゆるものは
全て起こる可能性があると同時に全ては
決まっている
ということを知る事であります。

これは矛盾しているように見えますが、
例えば株価でいうとある会社の株価が
朝っぱらには100円でスタートしたのが
5分後に何故か1000円になってまた3分後には
50円まで下がったとか、またはその日の午後には
10000円になってしまっていたとか株価の
上下はあらゆる可能性を秘めていますが、
結局値動きを繰り返す、というのは
決まっていますし、日本の株式市場である
以上は100円で始まった某社の株が昼間に
100ペソに単位が変わっていたという事も 
ありえません。

別の例でいうならゲームでキャラクターを
育ててパラメーターの組み合わせが無限で
あっても、ゲームのキャラがゲーム世界で
設定されている言語以外の言葉を喋りだす事は
ありえないのと同じです。

つまり無限の可能性とは同時に有限の
全てが決まっている世界と両立している
ので
あります。

世の中というか世界は全ての可能性と
全ての決定済み事項が同時に存在している
だけであって、何の敵意も悪意も無く、
ただ全てが在るだけのものです。
敵意も悪意も無いなら、防御する必要も
鍛える必要もありません。

博打なら損失はダメージでも何でも無く、
普段の生活も不幸でも何でもなくなります。
それは全てが在ることの体現でしかありません。

そうなった時にもはや自己とそれ以外を
分け隔てるものは無くなるのであります。
夏の暑さも冬の寒さもあなたが体験
するのではなく、あなたの中に在るのです。
「自由意志が無いという事は、我々は
ゲームのキャラの如く大きな何かに操られて
いるのザマスか、何だかとっても恐ろしい
ザマスわ」
という何故かザマス調で話す
メールを頂きました、ありがとうザマス。

これはあんまり例えが良くないかも
しれないですが、例えばバンザイすると
当たり前ですが肩も手首も一緒に
挙がりますよね。

自分が手首だとすると、挙がりたくないとか
下がりたくねえとか色々考えると思いますが、
一度"肩関節と繋がっている"事がわかれば
挙がるか下がるかは肩関節次第なので、
その時点で手首の自我(?)は消滅します。

手首と肩は同じパーツとして一体と
なったのであります。

で、こうなると"肩関節が手首を操っている"
という表現はあまり適切では無いと何となく
感じると思います。

そもそも手首も肩も腕を構成する一部であって、
どっちがどっちを操っているとか
支配しているとかは感じませんよね。

つまり自由意志うんたらかんたら我々は
操られているザマスわ!というのも
それと同じで、操られているという認識が
少々おかしいザマス。

見方を変えれば肩が挙がるから手首も
挙がるでは無く、手首が挙がるから肩も
挙がっているとも言えます。

つまり個は全体であり全体は個であるわけです。
どちらが操っているわけでもありません。

しかし我々は普段どうしても手首側からしか
見えていませんし、感じていません。
それだと片手落ちになってしまいます。
スピリチュアル系でよく個人ではなく
全体の為に祈りましょうとか、自他共栄を
願いましょうとか言われるのはこの為です。

そして手首も肩も腕という物の構成要素であると
わかった時、全てが腕という概念に統一されて
手首も肩も消えるのであります。

スピリチュアルぽく言えば"自我の消滅"
いう事になるザマス。
50戦50勝無敗のボクシング史に残る
名王者・フロイド・メイウェザーが、
何と何と大晦日に日本で試合をすると
いうじゃありませんか。
ボクシング経験者である私としては、
今回の試合は当然見逃せません。

対戦相手は新進気鋭のキックボクサーである
"神童"那須川天心、まだルールは決まって
ないようですが、個人的にはかつての
曙VSボブ・サップよりも注目の試合です。
これは女房を質に入れてでも見る価値が
あるかもしれません(?)

しかしながらボクシングファンの知人は
メイウェザーほどのボクサーが何の意味が
あって大晦日に日本で茶番を演じるのか、
神聖なボクシングに対する冒涜やんけと
ブチ切れていました。

まあボクシングファンの言いたい事も
わからなくは無いですが、強引に
スピリチュアルに持っていくと
神様とか神聖だとかあんまりそういった
"権威"を作ってそれに縛られるのは
苦しいだけだと思います。

神様だ何だは人間が勝手に作ったものですから、
それに思考や行動を縛られてしまうのは
損であります。
というか神様って縛られた思考の擬人化みたいな
ものです、誰も神様について考えなくなったら
神様はその時点で消えますし。

前も書きましたが幽霊に対しての恐怖や、
先祖供養に対しての不安なども
同じようなもので、勝手に作った権威に
どう対処するかで自由になるか縛られるかは
決まるのであります。











まあ何の為にこんな試合やるのかって
そりゃカネに決まってんだろと思いますが、
三年前のパッキャオ戦でのファイトマネーが
200億円(!)とか言われたメイウェザーが
日本に遊びに来るって、あれだけ稼いでんのに
どんだけカネ無いのと思いました。
多少脚色していますが、私は過去に
妙に悟ったようなサーファーのオッサンと 
遭遇したことがあります。

もう二十年以上前になりますが
高校卒業した直後ぐらいだった私は当時の彼女と
大喧嘩して別れてしまいました。

何となく寂しさを感じながら
ふらっと出歩いた先は海だったので、
「海のバカヤロー」とか叫んでいたら、
サーファーのオッサンが寄ってきて「若者よ、
サーフィンは悩みを一掃してくれるぞ。
波に乗るのも、転倒するのも誰が悪いわけ
でもない。原因も結果も無い、
だから最初から悩みなど存在しない」
みたいな事を言い出したのであります。

正直その時は「何言ってんだコイツ」としか
思いませんでしたが、今思うと
あのサーファーオヤジは良いことを
教えてくれたと思います。

そもそもサーフィンでズッコケるのも
柔道で出足払い食らってコケるのも
同じなんですよね。

柔道の場合は人間相手にやられたと思うので
ムカつきますが、サーフィンだと自然が
相手なんでそこまでムカつかないというのが
あります。

つまりこれはサーフィンは自然が相手だから
というのを受け入れている
からであり、
であるならば人間相手でも同じように
受け入れれば良いのであります。

あらゆるものは波と同じで予測も出来ず
起きるのである、と受け入れれば
その瞬間から全てと一体になり、
何かが気に入らないとかムカつくといった
ストレスからは大きく解放されます。

更に思考や動作も自己の意識を通してではなく、
勝手に起きるもの
であると受け入れれば
もはや自己も波に溶け去るのであります。

著名なサーファーってやたらと
スピリチュアルっぽい事を言い出す人が
多いですが、自然の波に乗っていると何となく
"何か"を知るのではないかと思います。

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