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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「自殺したいとか思ったのも湧き上がってきた
ものなのか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

「湧き上がってきたものなのか?」と言われれば
そうです、としか言いようが無いですが、
例えばこれが結婚したいとか乱交したいとか
だったら大して気にならないと思うんですよ。

実際にそれが出来るかどうかは置いといて、
要は自殺とは自己の破壊である、という認識が
違うのであります。

もう何度も似たような事を書いていますが、
映画の登場人物を殺した所でスクリーンが
ぶっ壊れるわけではなく、スクリーンはそこに
ずっとあるわけです。

これは結婚とか乱交とかネガティブに感じない
ものでも同じで、登場人物が結婚しました
めでたしめでたし、でも別にスクリーンに花が
咲くわけでも何でもありません。

つまり何にも起きてないわけであります。
じゃあ結局は虚無なのか?それも違います。
虚無どころか自己とは全てを映すスクリーンの
光であります。
自己そのものが太陽であり天照大御神であり
ラーの翼神竜なのであります。

最初から生まれてもおらず死ぬことも無い、
全てが成り立つ為に必要な光そのものが
自己です。ですから自殺したいとか誰かを
ぶっ殺したいとか、あるいは結婚したいとか
あの人が好きだとかも、全て光の体現として
同価値なのであります。

また、感情に限らず例えば知り合いのAさんは
思想が右寄りだがCさんは左巻きだというのも、
全く同価値であります。
個人レベルの価値観の相違は光が凸凹の斜面を
照らすが如きであり、凸凹で当然です。
全てを照らし成立させて内包していると気付く事
です。

「しかし私はどうしてもあの人の思想は受け入れ
難い」と思うのも、それで良いのです。
それもまた、光が照らしているものだからで
あります。
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リンクにLIAさんのブログ「本棚の記憶」を
追加しました
「私が〇〇を好きだったり〇〇は嫌いだったり
するのは全て決まっているという事か?」
的な
メールを頂きました、ありがとうございます。

全て決まっているというか、要はゲームで言う
所のフラグみたいなもんですね。

例えば私はこの前、顔も性格も悪いが読書家の
嫁さんが本を読む時に使っている眼鏡の上に
誤って座ってしまい、ケツ圧で眼鏡を粉砕して
嫁さんに大変怒られました。

しかしこれはまず嫁さんが眼鏡を購入するという
時点でフラグになっており、更に言えば嫁さんが
存在しなければ眼鏡を購入するというフラグ自体
が立ちません。

つまり何を言いたいかというと、我々はまさに
ゲーム上のフラグを回収する為だけのデータ
ようなもので、確固たる存在だというのは錯覚と
いう事です。

最初から我々は何処にも存在しないし、
産まれてきたわけでも死ぬ訳でもありません。
最初からゲームを構成するフラグの一部であり、
更にそのゲームそのものを意識する意識(?)
すらもフラグの一部であります。

なので言葉では示す事の出来ない存在が
全てなのであります。






まあこんなややこしい事の前に、私としては娘に
(・∀・)パパ、怒られちゃったねー
と慰めてもらったのでそれで十分です。
「自己が消えるとか世界と一つとかいうのには
どうやったら良いの」というメールを度々
頂きますが、かなり強引に方法論に持っていく
ことは出来ます。

まず我々が大きく勘違いしているのは運動
いう知覚なんですよね。

例えば株価の終値に印を付けていくと、いわゆる
チャートになって株価が上下動しているように
感じるじゃないですか。
でも実際に株価が飛んだり跳ねたり運動を
しているわけでは無いですよね、月曜日の株価と
火曜日の株価はその時だけの数字に過ぎません。

しかし我々はそこにある種の法則というか、
株価の上下動という"運動"を見てしまいます。
というか見ようとしてしまいます。

これが問題なわけで、運動をしていないものに
対してそれを見ている方は運動を知覚して
しまっているのは明らかな知覚不全であります。

そして運動をしていないものに対して
法則性を見出そうとするのもおかしな話と
なります。

つまり運動をしているという知覚が錯覚であると
認識すると初めて"それそのもの"になる事が
出来ます。今まで運動をしているという
錯覚によって、知覚されるもの(物体)と
知覚するもの(私)という二つに別れた状態から
一つへ統合されるわけです。

こうして統合されると、やや強引ですが
もはや始まりという運動も無ければ終わりという
運動も無い
という事になり、結果的に自分は
生まれてもいないし死んでもいない、という事に
なります。
前回の記事の続きみたいな感じですが、
完全に自己が居ないというのはどういった事かと
補足しますと、例えば呼吸してる時なんか
わかりやすいと思うんですが、思いきり吸うには
まず思いきり吐く事です。

思いきり吐けば、勝手に息を吸い込む事をやって
くれるので、そこに息を吸おうという自己は存在
しません。これが何処をどう意識してどういう
タイミングで、とかやってると逆に呼吸が難しく
なってしまいます。

そしてこの息を吸ったり吐いたり感じる動作に
呼吸と名付けて、そこから「では呼吸をしている
ものは私の肉体である」とか勘違いするわけで
す。

つまり自己という勘違いの最たるものである肉体
から如何に離れる事が出来るかが要点です、
逆説的ですが肉体から離れると結果的に肉体は
理想的に動いてくれるのであります。

思いきり吐いて、結果として思いきり吸い込む事
でどれぐらい酸素を取り込むかとかは当然
わかりません。まさに神のみぞ知るという奴です

しかしこれは神のみぞ知るから運任せという
意味では無く、自己や肉体という概念から
離れるほど神を体現するという事であります。

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