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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「職場で色々あったが許せないという感情を
我慢すれば良かったのか?」
というメールを
頂きました、ありがとうございます。

基本的に我慢しなくて良いと思います。
前の記事でも同じような事を書きましたが、
感情と今の状況って別物なんで無理矢理抑えても
あまりよろしくないです。

感情と自己を同一化していると「これは
良い感情」
とか「これは良くない」
間で勝手に葛藤しておかしな事になります。

例えば憎んでも憎みきれないぐらい嫌いな
政治家がいたとして、その政治家に
「○○議員、車に轢かれて政治生命絶望!」
とかのニュースが流れたら反射的に
ザマアとかメシウマだぜとかなると
思うんですよ。

これに対してそういう事を思うのは良くないとか
何だとか思い出すと、わけのわからない事に
なります。

そもそも反射的に思うっつー事は自らの意志に
関係無く出てくる
という事ですから、
自由意志なんて無いんですよ。
自由意志が無いものを無理矢理抑え込もうと
するから返って苦しむわけで、
繰り返しますがその時の感情とその時の
状況は全く関係ありません。

まあしばらくしてからSNSとかで
○○ザマア!m9(^Д^)プギャーとか発信するのは
どうかと思いますが、反射的に出てくる感情に
いちいち振り回されるのは馬鹿馬鹿しい事です。

というわけで許せないとか殺してやりたいとかの
感情を我慢する必要は全くありません。
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「世界との一体感を感じました。
確かにあまり色々な事に気を煩わせる事が
無くなったが、何かロボットやAIのように
感情が欠落した感じになってしまいました。
どないしてくれるねん」
という
メールを頂きました、ありがとうございます。

ロボットやAIに感情があるとこれは厄介ですが、
一応人間なので感情が欠落したりはしません。

そもそも感情は自己を支えとして初めて
確固たるものとして成立します。

要は起きている出来事と、その時の感情が
分かれている
というのが近いです。

例えば麻雀のルールを知らないで漠然と
牌を切ったりしてても何が何だか
わかりません。

しかしルールを知るとそこに感情が入り込みます
やっている事は牌を切っているという
同じ事なのに、ああでもないこうでもないと
思うようになり、その思いと自己を同一化
する事で更に「これは問題だ」という感情が
芽生えて話をややこしくしていきます。

つまり実際に起きている事と思っている事は
違うのですが、思っている事を事実として
認識してしまう
という事ですね。

なので世界との一体感云々というのも
"そう思っている"或いは"そう感じた"事なので、
微妙に違うのですね。

"感じた""思う"ものではありません。
言葉では説明できない、それそのものだけが
"在る"のであります。
だいぶ前にネタにさせて頂いた○福の○学で
有名なO川隆4先生の息子さんが、何と
名誉毀損でO川先生から訴えられたと
Youtubeに動画を投稿しているじゃありませんか

神から訴えられた人間て、多分人類初の快挙だと
思うんですが、O川先生も神様なのに
こういう時は神の力を使わずに人間界の
しきたりに従って裁判制度を利用されるのですね

これと似た感じ(?)で、たまにメールでも
病気に関してスピリチュアルの力で
どうこうとかの相談を頂く時がありますが、
そういう場合、私はスピリチュアル云々は
置いといてまず病院へ行く事をお勧めしています

病気だと何だか深刻な気になってしまうかも
しれませんが、これが例えば電車で東京方面に
行くつもりが間違って田舎方面に乗って
しまった場合、スピリチュアルガーとか言ってないで次の駅で降りて反対のホームから
乗れば良いだけの話で、恐らく99%の人が
そうすると思います。

病院へ行くのも、ホームを乗り間違えたから
次の駅で降りるのも同じです。

深刻度(?)を増しているのは病院へ行った後、
治療を初めた後、を勝手に想像しているからで、
それが無ければ何の問題もありません。

これは株式投資とかでもそうで、
例えば損を出して損切りが出来ないのは
損切りした後、を勝手にああだこうだ
想像するからであって、損切り自体は何一つ
良い事でも悪い事でもありません。

何を深刻に捉えて何を気にしないかは
人それぞれ今までの経験や知識で違いますので、
要はそういった積み重なったものに
反応させられているだけ
である、
という事を知りましょうという話でした。








余談ですが私も高校ぐらいの時にオヤジと
喧嘩して派手にぶん殴られて「てめー、治療費を
請求すっぞ、裁判だオラ!」
とかイキったら
「何が裁判だ100年早いんじゃボケー!」
さらにボコられた経験がありますので、
O川先生の息子さんも親父さんと泥沼化
しない事を祈っています。

何しろ相手は神だしね。
「OKもNGも無いのに何故スピリチュアル系の
書籍等ではエゴをNG扱いしているのか?」

というメールを頂きました、ありがとう
ございます。

これは鋭い指摘だと思います。

エゴ、つまり自我は早い話が私と、私では
ないもの、を区別しているわけです。

例えると、車を運転している時は車体の
幅って何となく感覚的に認識していますが、
だからといって私と車は一体であるとか
思わないのは、私と車を明確に分けている
からであります。しかし実際は車を運転している
状態は車と一体ですし、電車に乗っている時は
電車と同じスピードで走っているわけで、
一体と言えば一体なんですね。

要は分けている、または分かれているという
錯覚が自我であって、別にNGでは
無いのですよ。目の錯覚が実際には
存在しないのに近いです。

ただ分かれているという錯覚によって、
これまた様々な錯覚を呼び起こし、
常に錯覚の中で過ごしている事になって
しまうので、それを取り除く(?)というか
錯覚を錯覚として認識しましょう、という
話です。
つまり錯覚を錯覚としてわかっていれば
別にNGでも何でも無いのですね。

錯覚錯覚しつこいですが、錯覚は錯覚として
認識した瞬間に錯覚では無くなる、
つまり
実体が無くなり観念上の存在になるので、
エゴをNG扱いする、というのは
エゴという何かが常に存在していると
いう事になってしまいます。

なのでOKもNGも無いのにエゴは
NG扱いにしているのはおかしいやんけ、
というこの方の疑問は正しいのであります。

そしてそういった疑問を持つという事は、
既にエゴの本質を見抜いているという
事でもあります。
「だいぶ前からブログを読んでいますが
私も子供を2人産みました。本当に子供が
愛おしくて子供を失うかもしれないと
想像しただけでおかしくなりそうです。
知らんさんは子供を失う事が怖くないの
ですか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。
そして御出産おめでとうございます。

ちょっと話が飛躍しますが、
そもそも何故これが問題だとかあれが怖いとか
なるのかっつーと、全て「人生」という
枠組みの中から見てるからなんですよね。
我々は基本的に人生は良くしていかねばならない
という固定観念みたいなのがあります。

これが曲者で、例えばスピリチュアル本で
とても心に響く言葉を読んだとか、あるいは
ある日突然何かしらの気付きを得た、
とかになると、そういった経験自体が
「人生を良くする」という大義名分に
使われるという事です。

つまりあらゆる行動が「人生を良くする」に
ベクトルが向いているので、自分の考えとか
言動も全て「人生を良くする」に支配されて
いる
という事に気付けません。

Aというブログではこう言ってた、でもBという
本ではこう書いてあった、でもCさんという
立派な坊さんはこう言ってた、に何とか
折り合いを付けようとしているのが
思考している状態ですが、これもやはり
「人生を良くする」為にやってるわけで、
そうするとこれは別に自由意志に基づいた
思考でも何でも無い
のであります。

ですから本当の意味で自由になるには
人生を捨てる事です。

これは別に世捨て人になれとかではなく、
全ては「人生を良く(しなければならない)」
に支配されているだけなのに、自分で色々と
考えていると思っていただけという事を
知る事であります。

話を冒頭に戻すと、「子供を失ってもおまえは
平気なのか?」に対しては、もちろん平気では
いられません、としか答えようが無いですが、
もはや「私の」人生は消滅しているので
問題ではありません。

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