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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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以前紹介した書籍「過去にも未来にもとらわれない生き方」
現在絶版になっていますが、Amazonの商品紹介の所に「この書籍のKindle化を
希望すっか?」みたいな事が書いてあるので、皆で電子書籍化を希望しましょう、
というメールを頂きました。ありがとうございます。



と、ここまで書いて思ったのですが、絶版のスピリチュアル書籍をブックオフとかで探し、
自炊して適当にレビューして馬鹿な情弱にブログの読者に売れば、
バリバリ著作権に違反しているとはいえ読者を上手く口止め出来れば
大儲けという事でしょうか。

これはアングラビジネスの予感が・・・というのは冗談ですが
「過去にも未来にも~」は良書だと思うので、電子書籍化に御協力を
お願いしますね。
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不幸だ不幸だと騒いでいる場合、結局は本人が不幸を探しているのであります。
その本人は自我が騒いでるだけでどうのうこうのとか言うとややこしくなるので、
取りあえず御本人が不幸を探しているのであります。

で、もしも寝ている時に不幸だ不幸だと言っているのなら、間違いなく不幸だと
思われます。しかし、寝ている時に不幸を感じてはいないと思います。
不幸が「状態」ならば、常にその状態にならなくてはおかしいからであります。

しかし寝ている時に不幸では無い、ならば不幸という「状態」は
本人がわざわざ探しているとしか言えません。

そして不幸は、前回も書いたように心の声を聞きまくる事で作られるのであります。

仮に目の前で今にも死にそうな、「火垂るの墓」に出てきそうな子供が居るとします、
「かわいそうだ」「なんつー不幸な子だ」とか色々心の声が湧き、それを聞く事で
悲しくなったり、気分が沈んだりするのです。

ここで注目して頂きたいのは、恵まれない子供を見て不幸だ何だと感じるのは
あくまで心の声みたいのを聞き、それを信じた結果なのであります。
つまり子供の状態と「悲しい、不幸だ」という思考は実は関係無いのです。

これは別に死にそうな人を見かけたら指を差してプギャーと笑えとか、
巨人ファンのオヤジの前で巨人が負けてメシがうまいと言えとか、
そういった意味ではありません。

悲しいとか、なんて不幸なんだという「声」は殆ど条件反射的なものであって、
真実でも何でもない、という事です。

この事に気付く事で、あらゆるものは中立となり、結果として「自分」だと思っていた
ものが消え、世界が現れるのであります。
何故なら多くのモノや概念に価値観や順位をつける事で偽りの自分が作られて行くからです。

偽りの自己が解体された時、全てが自らの内側であって、
自分は外側の殻のようなものであると気付くでしょう。

雨が降っているのを見るのと同じように、痛み、喜び、感情、思考を感じ、
今まで己の内側だったと感じていた思考や感情が、外を流れる風のようになり、
己の外側で降っていると感じていた雨や風は、内側に在る事を知るのであります。







非常にどうでも良い余談ですが、「火垂るの墓」って英語にすると
当たり前ですが「Grave of Firefly」になるんですよね。

私は中学の時に「火垂るの墓」の原作の感想文を書く機会があったのですが、
「グレイブ オブ ファイヤーフライだと思って読むと何故か悲しくないです、
むしろカッコイイ」と一行で済ませたら、先公に本気で怒られました。
ここ数日は何故か似たような内容の悩み相談みたいなメールを頂くのですが、
兎にも角にも「心の声」的なモノに耳を傾け過ぎと感じます。

例えば前からオッサンが歩いて来て、そのオッサンがこちらを睨んできたら
不安になると思いますが、これも「不安だわ」と心が語るから不安になるだけで、
別にオッサンが睨んで来ようが微笑んで来ようがどうでも良いのです。

あくまで問題は「オッサンが睨んでる、怖いわ、不安だわ」とか
「オッサンが微笑んでる、変質者だわ、危険だわ」と囁きかけて来る「声」を
信じてしまう方に問題があるのであって、繰り返しますがオッサンはどうでも良いのです。

全ては心の声を無条件に”真実である”と思い込む事から来ているのが殆どです。

これはギャンブルなんかやってみるとよくわかるんですが、競馬とかで絶対の本命が来ると
わかってるのに「今月は負けが込んでるから」とか言い出して、
何故か突然収支の帳尻合わせを始めだして結局本命を買わなかったり、あるいはその逆で
「今月はツイてるから大丈夫」とか言って、来るわけ無い大穴につぎ込んで大負けしたりします。

そもそも私を含めて競馬場に来るようなアホなオッサンが、突然収支の帳尻合わせを考えたり、
ツイてるからOKとか言い出すのはもっとアホな事であります。

単純に馬券を買いに来ているだけであって、収支を合わせるのも、ツキに任せて
ブッ込むのも、「馬券を買う」という本来の目的から外れています。
外れていますが、何故か「収支を合わせて云々」や「ツイてるからOK」という
心の声が「正しい」と認識してしまうのですね。

この「心の声」が厄介なのは、それに従って行動し、うまくいったように見えると
それが「真理」であるとますます思い込んでしまう所です。
そして「真理」を囁く声の主こそが「私」であるという、確固たる自我が君臨するように
なる
のであります。




で、私はこの前明らかに彼女が機嫌悪そうだったのですが、気にせず目の前で屁をかましたら
ブチキレやがってえらい事になったのであります。

という事は「機嫌が悪そう」という心の声は正しかったのでしょうか?

それも違います、心の声を信じた時点で「私」と「世界」は分離します。
心の声を信じなければ、世界は常に一体となって在ります。
「機嫌が悪そう」と「思う私」が居ないのですから自他の区別は消えています。

でも結局彼女キレてるやんけ、と思うかもしれませんが、
心の声を信じる事で作られた偽りの私を通しての体験と、
何処にも私が存在せずに体験だけが在るのとはまったく違うのであります。
前も書いたと思いますが、メールで「世界が幻なのがわかった」と言いつつも
何かしっくり来ないとか、余計に絶望したとか変に悩む方が多いのであります。

何でこのようになってしまうのかというと、
「幻なのがわかった」となるのが曲者なのです。

幻なのがわかるという事は、幻を見る者がいるわけで、
結局は堂々巡りにならざるを得ないのです。

幻を見ているのが「私」なのではなく、全てが幻なのであります。

これは夢と非常に似ており、夢の中では自分の肉体も、自分の思考も、感情も
存在するように感じ、そしてそれらの感じたままに行動しているわけですが、
それらは全て刺激と、それに対する反応であって、別に己の意志でも何でもありません。

夢から覚めればそれらは全て幻というより、何処にも存在していないのは当然です。
つまり全ては最初から存在しない、幻を見ている私など、何処にも居ないのです。



スピ系で不快感に飛び込めみたいな事を勧めるのも、
結局は不快感とは単なる刺激と反応に過ぎない事を知るためっつー意味合いが
大きいんじゃないでしょうか。

不快感そのものは別に己の意志で選んだものでも何でも無く、
単なる反応です。

例えば「これからブッ飛ばす」と言われれば不快感を感じるかもしれませんが、
殴られた瞬間て別に不快感は感じません。
不快感を感じるのはあくまで殴られる前と殴られた直後であり、
ここにヒントがあるのであります。
「セドナメソッド等の解放系メソッドをやり始めてから胸が苦しくなりました。
これが解放できていないモノだと思い、解放を続けていますが、痛みが取れません。
要因は色々考えられますが、どうすれば良いのか」
みたいな内容のメールを頂きました。

私はセドナメソッドとか詳しくないので、これは医者に行ってみましょうの一言で
終わりそうですが、病気では無いと思うとも書かれているので、あくまでスピリチュアルな
感じで言わせて頂くと、痛み=解放されていない と取るのはどうなんでしょうか。

そもそも痛みから解放されないと困る何者かが居るから「解放しなくては」とか
「これは悪いものだ」と感じるわけで、それならば痛みをどうこうするより
痛くて困る何者かに居なくなって頂いた方が早いのであります。

そのためには痛かろうが何だろうが感じる事です。
そして痛みを感じるためには「痛い」と知覚する者がいなくてはなりません。
その知覚する者を探せば良いのです。

しかし、いくら探しても居ないと思います。
痛みとは、流れてくる波を捕まえて、それに痛いとか苦しいとか名前を付けていた
だけなのです。痛みは外部から知覚する者に襲いかかるものではなく、
それ自身も己の一部
です。

彫刻家が木材の塊から余計な部分を削り落として、これは木彫りの馬ですとか
やっているのと同じで、己自身という塊から、これは痛みですと取り出して
痛い、痛いと喚いているのです。

木彫りの馬はいきなり湧いて出てきたのではなく、最初から木材の中に
居るのです。つまり木材と木彫りの馬は別物では無く、木材は馬であり
馬は木材であるという事と似ています。

木材と馬のように己と痛みが分離しなくなった時に、痛みは無くなるのであります。
「痛がらせる」には痛くなる対象が必要だからです。

頂いたメールには、痛みの原因は私の過去にあるのではみたいな事も書かれていましたが、
過去生とか因果応報とか輪廻転生とかカルマ(?)とか全然関係無いと思います。

そもそも己が居なくなる、というか分離が無くなれば過去生とか関係無くなりますね、
過去生って誰の過去やねんて話です。





過去生で思い出しましたが、10年以上前に埼玉の草加市近辺と記憶していますが、
そこにあった占いだか何だかの怪しい店に友達と冷やかし半分で行ったら
私の過去生は天狗と言われた事があります。

天狗って(爆)

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