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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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基本的にスピ系の書籍に書いてある事というのは、チンプンカンプンも
いい所
で、私も昔「今ここに、死と不死を見る」「過去にも未来にもとらわれない生き方」
読んだ時は大変に理解に苦しみました。

「引き寄せの法則」を読んだ時も著者が何故エイブラハムという
ハムと喋っているのか大変に不思議でしたし、
最近では「マネーゲームからの脱出」を立ち読みした時も、何故この本が
ビジネスコーナーに置いてあるのか悩みました、ついでに表紙の絵の
一番右の奴が何故明後日の方向を見ているのかも気になりました。

前回も書きましたが、あらゆるメソッドや知識というものは、全て「本来の自分」から
離れていくものであります。ですから別に理解できなくても全然OKなのです。

というより「理解出来ない」事を感じているという事は、すぐそこに「理解出来ない」事を
感じている何者かが居るわけですから、別にああだこうだ悩まなくても「本来の自分」は
常に在る
のであります。

まさに灯台下暗しとはこの事ですね。
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最近、マネーゲームのまとめブログと相互リンクさせて頂いたせいか、
何故か著者でもない私の所に、「マネーゲームからの脱出」の内容についてのメールが
ちょこちょこ来るようになりました。

私はマネゲ本は立ち読みで済ませてしまったので、あんまりああだこうだ言えませんが、
マネゲ本で強調されていたホログラムに気付くとか、何とか段階から脱出するとかに
ついては、多くのスピ系で言われているのと同じではないかと思います。

「世界は全てあなたであってうんたらかんたら」というスピ系でお馴染みの
フレーズ
を聞くと「それなら何で全部アタシの思った通りに動かないの!」となる
ケースが多々ありますが、ここで言う「自分の思った通り」とは非常に狭い範囲の
「思った通り」を意味するのが殆どです。

せせこましい自我の範囲の「思った通り」は、結局は「自分」にとって都合の良い範囲
限られます。

思った通りにすると言っても心臓を自由に止める事は出来ないし、
血液を沸騰させて蒸発させるとか、胃と肝臓を爆発させるとかの
北斗神拳みたいな事は出来ません。
というよりそんな事やろうと思いません、「自分」には都合が悪いからですね。

結局は無意識に「自分」と「その他大勢」的な分離を前提として
世界を見ているのであります。「都合が悪いことは私じゃない、でも世界は私なのよ」
これでは文字通りの都合の良い現実逃避、妄想になってしまいます。

分離が無くなれば、道路の車の流れも、雨が降る場所も、雪が積もる場所も、
全て血液が滞りなく流れているのと同じように、都合が良いとか悪いとで
判断しなくなります、というより出来なくなります。
「胃袋がこのタイミングで消化を始めるのはムカつく」とか普通は言わないのに
近いです。

分離が無くなった時点で、大袈裟に言えば根本的な生命や宇宙の源、
心臓を動かしたり血液を流したり内臓の機能を制御したりしている
「自分」には伺い知れない大きな何かに気付けます。
そしてその大きな何かが、本来の自分なのです。

恐らくこの都合の良い悪いを超越する事は、分離から抜け出る最後の壁であります。
トンデモない抵抗が湧き上ると思いますが、それらは全て
分離を維持したい「自分」の最後の抵抗であります。
この凄まじい抵抗を緩和するために、「マネーゲームからの脱出」だと
「全部ホログラムだよ」っつー表現を使っているのではと感じました。

実際はホログラムでも幻でもマネキンでも何でも良いと思います、
私の世代だと「ホログラム」っつーと、ビックリマンチョコの魔肖ネロとかブラックゼウス
連想してしまうので、「幻」の方がしっくり来ますね。
ブログ開設から一年経ったので時間ネタであります。
ついでに最近リンクを張らせて頂いたマネーゲーム云々の書籍を紀伊国屋で見かけたので
立ち読みしてきました(買えよ)

時間は存在しないとか何だとか以前も書きましたが、
もうちょい正確に言うと、時間が無いというより時間の存在・影響から
脱出している存在というか何か
があります。

簡単に言うと、例によって例のごとく目の前にすき家があるとします。
すき家の中に居る以上、すき家の店舗内部の時間は存在します。
そうでないとアルバイトに時給も払えないし、お客も回りません。

この店舗の中でワーワーやってるのが非常に狭い個人の意識であり、
あまりこういう表現は使いたくないですがエゴであります。

店舗の中に居る以上、時間(として感じられるもの)は存在します。
が、しかし。すき家の店舗を外から眺めている場合、すき家の店舗内部の時間というものは
存在しなくなります。


10分前に客がコップ落として割ったとか、5分前にチーズ牛丼を頼んだ客がトイレに行ったとか
そういった時間を基準にどうのこうのといったものは、全て店舗の内部に居るから
体験できるわけです。

店舗の外側にいる場合、そういった事は存在しません。
しかし今度はすき家の店舗そのものが朽ち果てていく「時間」を目撃します。
看板が剥がれたとか照明が落ちたとか、ついに店自体が潰れてしまったとか、
そういったものを時間と共に体験します。

で、さらにスケールを大きくしていって今度は日本列島そのものを眺めた場合、
すき家の店舗が外側からボロくなっていく様子は見えません。
しかしながら今度は日本列島に地震が来たり、隣の国からミサイルが飛んで来たりという
出来事はやはり「時間」と共に見ることが出来ます。

さらにさらにスケールを大きくすれば地球から見れば日本列島における「時間」は
無くなりますし、宇宙から見えれば地球の「時間」は無くなり、もっとすごい何かから
見れば宇宙の「時間」も無くなり・・・とエゴを超越していくと
「時間」はどんどん影響を及ぼさなくなっていく
のであります。

だから一体何なのだと思われると思いますが、この地球だの宇宙だのを超越していった
意識(?)みたいのが本来の自分であり、宇宙とは自分の内側に存在するものなのであります。
決して外側に広大に広がっているのではなく、内側がそれなのです。

過去も未来も無く、自由意志も無く、ただ内側を見つめる、というより自分自身を見つめる事が
本来の自分と向き合う瞬間なのです。
すき家の店舗では未来を操る事も、過去を変える事も出来ません。
過去と未来という時間の概念の及ばない領域が本来の自分である事を知るのであります。

狭いすき家の店舗で、自由意志があると勘違いすると悲劇が起きます。
それはすき家のメニューには牛丼とカレーしかないのに「どうしてお茶漬けを出さないんだ」
喚いているのと同じです。(定食があるじゃないかというツッコミはこの際無しで)

そうではなくて全ては時間の影響が及ばない何かスゴイもの(本来の自分)が
わざわざゲームを楽しむために低次元(?)にまでレベルを落としてくれているのですから、
全ては本来の自分の力であり、その事を受け入れる事がマネーゲームの本にも書いてあった
「力を取り戻す」っつー事なんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう。

まあ ざっとしか読んでないんですけど。
ipadを買って一週間ちょいが過ぎましたが、すっかりゲーム機と化しております、
最近は太鼓の達人にハマって毎日太鼓を叩く日々であります。

太鼓をノリノリで叩きながらメールを確認すると、何とリンク希望のメールが来ていたので
来るもの拒まずの精神に乗っ取り、リンクを張らせていただきました。

さあ、お前らも『ザ・マネーゲーム』から脱出しようぜ。という
「ザ・マネーゲームから脱出する法」という書籍に関するブログのようです。
いわゆるまとめサイトという奴ですね。

私はこの本は池袋のジュンク堂で見かけた事があるだけで読んではいませんが、
確かビジネス関係の書籍のコーナーにあったように記憶しています。

ネットで内容をざっと調べてみると、世界は全部ホログラム(?)であって、その事を看破する事で
お金に振り回されるゲームから脱出しようぜといったものらしく、
まさかビジネスコーナーにこんなトンデモ本がスピリチュアルに関係ある本が
あったとは思いも寄りませんでした。

まあ私は最近太鼓の達人のやりすぎで指が痛いのと、ipadで殆どゲームしかやってないことを
「豚に真珠もいいとこだ!!」と彼女に怒られたのでマネーゲームより太鼓の達人から
脱出したいんですけど。
「内側と外側に分離しているのはわかりましたが、色々と分離しているものが
認識出来て、逆に何やかんや考えて疲れてしまいます」というメールを頂きました。

この辺は非常に間違いやすいというか、見逃しやすいのですが
何やかんや考えるっつー事は、当然その思考・考えを「心の声」として処理しているわけ
だと思いますが、心の声=内なる声みたいにまったく疑いもせずに捉えてしまうと
話がややこしくなります。

昨日も書きましたが、まず一番簡単な分離は「私の身体」と「身体の外側に存在するもの」で
あります。で、次に簡単かつなかなか気付かないのが「私の心の声(内なる声)と
「外側から聞こえてくる自分の声、あるいは他人の声」
であります。

ここ最近の記事だと分離を解除して和解しようぜって話ですから
当然内なる声も外の声も区別はありません。
声は声であり、もっと言えば単なる音声であります、そしてもっと言えば音声を音声として
認識している何者かがいる
わけであります。

しかし内なる声はあまりにも普段から慣れ親しみすぎているせいか、
何故か別格扱いになっている事が多いのです。
内なる声は「自分の」声であると勝手に判断しているのですね。

さらに厄介なのはこの「内なる声」に導かれて神を見ましたとか
宇宙のパワーが降ってきましたとか鼻から仏像が出てきましたとかスピ系だとその手の表現
大変に多いっつー事ですね。

まあ文章で表現する場合はそうなってしまうのはしょうがないのですが、
「内なる声」と、その辺のオッサンのイビキと、初音ミクの歌声は、実際は全部同類なので
「内なる声」を別格扱いする必要はありません。

スピ系だと「内なる声」は真実を閃かせるみたいな印象がどうしてもあるんですけど、
そのような何か素晴らしいものを認識させる事はありません。

が、しかし。少しややこしいですがここにヒントみたいのが隠されているのであります。

素晴らしいものを「内なる声」で認識する、閃くという事は
逆に言えばその「声」を聞く前の自分は素晴らしくなかったという事です。

しかし本来の自分は最初から素晴らしいものなので、素晴らしいものが素晴らしさに
気付くのはおかしな話であります、ダイヤモンドはダイヤモンドの美しさを直接見る事は
出来ないのです。
前も書きましたが「右足で右足を直に踏めない」のと同じ事ですね。

なので、メソッド類をやればやるほど本質的なものから遠ざかって行くのです。
ナントカメソッドで「素晴らしい真実に気付きました!」という心の声、感動は
単なる音声であって別に素晴らしくも何とも無いのです。

心の声云々以前に、それを声として認識させているものが偉大で素晴らしいのです。
つまり宗教的に言えば何処にでも神は存在するという事です、それこそオヤジのオナラにも、
近所のババアの痰を吐く音にもです。

ややこしい話になりましたが、自分が聞いている音声や見ている画像に内も外も無い、
本当に素晴らしいのは声や音ではなく、それを聞いている、創り出しているものだと
いう事を知れば良いのであります。

まあ文章で書こうとすると「ナントカに気付きましょう」みたいに表現せざるを得ないんですけど。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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