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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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スピリチュアル系のお悩みみたいので
よくあるのが「何とかメソッドを頑張って
いるが云々」
という奴ですが、これはまず何かを
頑張ったら同じだけ報酬が返ってくる的な考えが
あまりよろしくないと思われます。

まあどうしても「何々を〜 こうしましょう」
な感じになってしまうのはしょうがないと言えば
しょうがないのですが、何とかメソッドを頑張る
という事は、それだけに縛られてしまう可能性が
非常に高いという事であります。

つまり様々な可能性を自ら閉ざしているとも
言えるわけで、であるならば最初から何も
しない方が良いです。

何もしないっつーのは確かに勇気がいる事では
あります。しかしそれは自己という概念に
縛られているからこその焦燥感であり、
自己がどうなっても良い、つまりありとあらゆる
可能性を受け入れるという事が肝要なのです。
どうなっても良い、は実は力強い言葉なので
あります。










まあ日本人だと「努力は報われる」または
「報われねばならない」というのが強いという
のも関係あるのかなとは思います。

原作が既に完結している「鬼滅の刃」
最後には健気な主人公が報われるとわかっている
からこその人気なのかなという気もしますが、
実際は努力と根性にとらわれるとそれが足枷と
なってしまう事が多いので、そもそも努力して
いると認識する必要がありません。
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「高校生以来の二次創作に目覚めた。
承認欲求の闇に落ちかけた時に、二次創作とか
所詮はウ○コで自分が出したいものを出すだけ
なのに評価とか何だとか気にするのが
馬鹿らしくなってそれから急に楽しくなった」

「神様とか何だとかも全てはウン○であると
気付いた」
という○ンコを連発するウ○コの
ようなメールを頂きました、ありがとう
ございます。

これは素晴らしい内容だと思います。

我々はどうしても周りの評価が高いと思われる
ものを得ようとしてしまう傾向があります。

独り者より家庭を持っている方が良いとか、
貯金が無いよりある方が良いとか、子供が
居ないより居た方が良いとか、まあ日本の将来
とか社会的地位とかを考えた場合はそうかも
しれないですが、それらの概念も単なる○ンコ
ですから、そうすると最も楽しいウ○コを
優先するのが一番良い
という事になります。

この方の場合、恐らくそれが二次創作だったの
だと思います。ですからまずは周りがどうだから
とか、あの人がそうだからとかを置いといて、
最も楽しくてしっくり来るものを行うべきで
あります。

最もしっくり来るものを行っている最中は
余計な思考も入って来ませんし、それが流れに
乗るという事でもあり、そうすれば他のウン○も
勝手についてくる場合もあります。

というわけでいくらでも二次創作という楽しい
ウ○コを垂れ流して頂きたいです。
私用で京王線乗ってる時に「あなたの運が
ドンドン良くなる」
っつー本の宣伝を以前
見たんですけど、運が良くなるっていうか、
全ての要素は運だと思うんですよね。
努力とか才能って1割もいかないんじゃないか
感じます。

前も書いたかもしれないんですけど、例えば
現在野球の天才と言われている選手でも、野球に
興味を持つかどうかって運だと思うんですよ。

たまたまオヤジが野球好きで試合見に行ったとか
テレビつけたら偶然野球中継やってたとかで
野球をやるかどうかって決まるんで、そこに
努力とか何だとか頑張る要素って無いんですよ。

何か運を下に見て努力や才能、根性を上に見る人
が多いですけど、これって逆にした方が良いと
思います。

運って文字通り運ばれてくる物なんで、
変に頑張ったりしてる時は運ばれてくる物に
逆らっている状態とも言えます。
なので世の中全部運だよと開き直った方が、
あなたの運がドンドン良くなる、と思います。




余談ですけど「あなたの運が〜」の著者である
深見東州さんて何か色々やっててすごい人ですね
言葉の意味はわからんがとにかくすごい自信だ
という印象です。
何か幸○の○学のO川隆4先生に通ずるものを
感じました。

個人的に一番びっくりしたのが予備校の
みすず学苑を経営されているという事で、
みすず学苑て私が高校時代の時に当時の彼女が
通ってた記憶があるんですが、まさか高校時代に
深見氏と微妙過ぎる接点があったとは。
世の中狭いですね。
「最近、自己と感じている者も誰かが見ている
夢のようなもので、実際は何も起きていない
という事がわかったのですが、どうしても
いないはずの自己に都合の良い事を期待して
しまいます」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これは「自己がいないのだから自己に都合の
良い事を期待するのは矛盾しているのでは?」

という疑問だと思われますが、別にこれは
何の問題も無いです。というか私は常に都合の
良い事しか期待していません。

自己に都合が良い事を期待、というと
どうしても様々な条件を付けてしまいますが、
自己がいないのであればもはや何でもありなので
事細かにこれこれこうでこうなったら良いとか
考える必要もありません。

要は常に全ては意識の投影であるというのが
第一で、その為にはあれは(自分にとって)
良い事、これは(自分にとって)悪い事

というのを取っ払う事であります。

ですから良い行い、悪い行いというのも
考える必要はありません。

良い行いをして徳を積むとか言っても、
ある人に良かれと思ってやった事が、他の人から
見たらとんでもない邪魔だてだったりする場合も
あるので、本質的に良い行いとか悪い行いと
いうものもありません。

つまり善悪が全く無い、と知った状態で
それでも何か自然とやりたくなる事が流れに
沿ったもの、言い換えれば意識の体現で
あります。

例えばそれでも銀行強盗がやりたい、と思うなら
やるべきですし、今すぐ死にたいと思うなら
全く構いません。
それはそれで意識の体現を示しているという事に
なります。

つまり何かを願うとか何かを成し遂げると
いうのも、全て意識の体現です。
なのである意味最初から願望入れ食い状態で
あります。わざわざ善悪の判断で止める必要は
ありません。
スピリチュアルでよくある(?)のが何かあまり
よろしくないと感じる事が起きた時に、
「私が望んだのか」とか「私が作ったのか」とか
自責の念みたいのに悩むケースです。

望んだとか作ったとかは、まあそうかも
しれませんが、問題は「私が作ってしまった」
からこれからも良くない事が継続する、
私が悪いんや、みたいな感じに捉えるのは
間違いであります。

例えばその辺歩いてたらいきなり車に轢かれて
頭打って生死の境を彷徨ったとしても、
身体が治ったら何故か脳ミソが商売の超天才に
覚醒してて、やる事成す事全部当たりまくって
財産築いたとしたら、車に轢かれた事に対して
「私が望んだのか・・・」とか哀愁を持たないと
思うんですよ。

つまり何が言いたいかというと、「私が何々を
したのか・・」みたいなのは本来柔軟性のある
世界をわざわざ固定化している事になるんです
ね。

なので無理矢理プラスに捉える事も無いし、また
マイナスに捉える事もありません。
プラスに考えた方が良いような気もしますが、
それもまた固定化しているのと同じです。









まあ私もこの前、久々に嫁さんを激怒させて
散々怒られて「私が望んでしまったのか・・」と
少し凹みましたが。

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