前々回ぐらいにいわゆる「願望実現メソッド」の厄介なのは思考を伴う所だみたいな
事を書きましたが、もう一つ厄介なのは「私が」ナントカを実現するのだ、
「私が」成功するのだみたいな
「私」が入ってくる事です。
前々から書いていますが「私」とはまさしくエゴであり、本来は存在しないものです。
居ないものがしゃしゃり出てくるわけですからこれは困ります。
ここで重要なのは
「私は」決して成功できないということに気付くことです。
いわゆる成功だ何だを判断しているのは何かというと、
外の世界の状況であります。「金が欲しい」なら目の前にどかっと札束が置いてあったり、「彼女が欲しい」なら
目の前にこっちを見てニコニコしている女性が居る事で、「私は~を実現した」と
判断しているわけです。
もっと簡単に言うと「私はあのゴミ箱にゴミを入れるのに成功した」は
ゴミ箱にゴミが入る光景を見れば「成功した」と判断するわけです。
つまり、外の世界の状況を見て成功だ失敗だと判断しているわけで、
肝心の「私は」何もやってない、つーか要らないのです。そして
「外の世界」と思っているのは内面の投影であります。
つまり何か願望が湧いてきたなら「私が」出てこない限り、外(エゴ視点から見た外)の状況が
勝手に変わるということです。
文字通り内面=世界が変わっていくのです。
「金持ちになろう」なら、「金持ちであると判断できる」世界(内面)へと変わるのです。
そこに「私」は存在しません。
もう一つ言うと、例えば野球で優秀な選手になりたいとします、
一体どこで「優秀」と判断するのでしょうか、エゴ視点だと「私が」頑張って
「私が」打ったり走ったりすることだと、「私が」満足することだと思ってしまいます。
しかし、実際は表示される打率やホームランといった数字で判断されるわけです。
つまり(内面の投影である)外部に数字が表示されれば良いわけです。
従って
少々ややこしいですが、内面で「優秀な選手になる」と思えば内面の投影である
外部に「優秀な選手と判断できるもの」として高い打率や多いホームラン数の
表示が勝手に出てきます。
「私は」何も頑張ってはいません。「何々をしよう」あるいは「何々になる」とした世界は、
本当に全部その通りの世界です。
道路を走ってる車の車種から、道を歩いているオッサンやオバハンの見た目から、
定食屋に入って定食が出てくるまで15分もかかったとか、
本当に全てが「その世界」です。内面がシフトすれば、
内面の投影は全部変わるのです。
「私」がいなくなれば全てが在る世界になってしまうとは、出来る限り理屈で言うと
このような事なのであります。
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