前回の話は少々わかりにくかったかもしれないので、補足すると
「意図したら、もうそれでおしまい」というだけの話です。
外の世界(に思える)がいかに内面の投影か簡単にわかる方法があります。
「歩こう」と思って一歩だけ歩いてみてください、多分目の前の背景が
手前に向かってきたと思います。
ただこれだけの事で、「私は歩いた」と判断しているのです。
しかし、
実際は「目の前の背景が手前に来た」というだけであります。
それなのに何故か「私は歩いた」と判断しているのです、不思議ですね。
背景が手前に移動しただけの現象に、何故か
どこにもいないはずの「私」が
勝手に現れて「私は歩いた」とか言っているのです、一歩間違えば
かなり怖い話です。
つまり、「歩こう」という意図が内面に生まれ、それが外に投影されて「背景が手前に動いた」
のであります。それを勝手に「私は」歩いたのだと判断しているのです。
まさに
外の世界と思っていたのは内面の投影だったのです。
昨日の話の「高い打率が表示されれば優れた野球選手だ」と理屈は同じです。
「優れた選手」を意図したらそれが投影され「高い打率」が表示されたというわけです。
一歩歩くのにも、優れた選手になるのも、
何処を探しても「私」は見当たりません。
「私」とはまさに幻、寝ぼけて見ている幽霊のようなものだったのです。
何かをしようとか何かやろうとか意図が湧いてきたら、それは即投影として
現れてしまうのです。
この「現れてしまう」がミソです。「何かしよう、したい」の次は即、投影なのです。
ただ、一歩だけ歩く場合は投影云々に気付くのは簡単ですが、色んな願望やら何やらの場合は
エゴの範疇では知る由が無い場合もあります。
例えば「車を買いたい、買おう」という願望を抱き、その投影がその日の温度だったり、
電車が人身事故で止まっちゃったり、街で通り過ぎる人の顔つきがみんなエロいとか、
「アンパンマン」を何気なく見てたらその日の話にドキンちゃんが出てこなかったとか、
エゴから考えるとまるで関係の無い事に思えるかもしれません。
しかし、
エゴ視点でいかに関係無いと感じても、それらの現象は紛れも無く「あなた」です意図が湧いてきた瞬間に「投影」である世界=自分は確実に変わるのです、
これは6月21日付の記事で書いた
「何となく周りの景色の色が変わって見える」に
近いかもしれません。
意図が湧いた瞬間に、もう「その世界」に居るのです。
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