読者の方から
非常に深いメールを頂きました。
深いといってもHNがマリアナ海溝とかではなく、
内容が深い、という意味です。(たまにそういった
舐めくさった面白いHNの読者からメールを頂きます)
どのような内容かと言うと、リスが木の実を食べに行ったら、もしかしたらトラなりキツネなりに
食べられちゃうかもしれないじゃん、自由意志が無いならそれすらも受け入れなくては
ならんのかと、要約するとそういった内容です。
深いメールとか言ってるのに
端折りまくりじゃないかとかのツッコミは要りません。
「自由意志が無い」っつーといわゆる運命論的な感じで受け取る方が多いのですが、
これはそのような意味ではなく、行動とは全て刺激を受け、その刺激に従って動いているだけ
なんですよね。
5月16日付の記事に書いてある内容ですが、以下引用です。
例をあげると、あなたが車で高速道路を走っているとします。
この時何故、あなたはハンドルを握り運転しているのでしょうか。
「そりゃ高速走ってるからに決まってるだろ」という答えが返ってくると思います。
その通りです、「高速道路」「車の運転席にいる」という状況があるから
あなたはハンドルを握って運転しているわけです。つまり
状況に操られて動いているだけなのです。(引用ここまで)
上記の「高速道路云々」をエゴ視点で見ると、「状況や刺激で操られているだけと
いうのはわかった、でも高速で事故るかもしれないよね?」という感想を持つでしょう。
しかし、この「事故るかもしれないよね?」ですら自由意志で考えた感想ではありません。
何故なら今、
このブログを読んでいるという状況が無ければ出てこないからです。
つまり、昨日の記事でも書きましたが、この場合
「高速道路云々」が取っ掛かりに
なっているわけです。この取っ掛かりから生まれるものは
全部幻であり必要無いと書きましたが、
結局「高速道路」→「事故ったらどうしよう」も昨日書いた「男なのに腕っ節が弱い」→「鍛えよう」
と同じ仕組みです。
ですから「リスは木の実を食べる」→「食われちゃうかもよ」も同じことです、
「自由意志が無いって書いてあった」→「じゃあ運命は決まってるのか?」→「リスが食べられるかも
しれないのも受け入れなきゃいけないの?」と様々な取っ掛かりの果てに湧いて出てきた
無意味な物です。そんなもんは知らんのであります。
で、聡明な読者の皆さんならもうわかったかもしれませんが、、
「じゃあ俺が今まで色々メソッドだ何だの考えてたのって、
全部オマエのブログ読んだからじゃん」と気付くと思います。
このブログさえ読まなければこんな
胡散臭い世界に足を踏み入れなかったのに、と。
その通りです。それこそ私が今まで「こんなブログを読むのは止めよう」とか
「読んだら忘れてしまえ」とか言っていた理由であります。
全ての事は状況や刺激を取っ掛かりにして始まります、そしてその始まったものに対して
「私が考え、私が行動しているのだ」というエゴが出てきて、苦しみ(不足)が始まります。
ですから
全て何らかの取っ掛かりからなのだ、と気付けば
「物事が起きているんだけど
起きていない」状態となります。そこには苦しみはありません、満たされているのです。
自分の肉体と思っているものですら「取っ掛かり」から始まった幻想です、
「肉体があるが、肉体が無い」状態です。そうすると「満たされた世界」との
強烈な一体感があり、というより
それ以外無い状態になります。
内面が満たされている状態で、「満たされた世界」=「自分」は勝手に動いています。
満たされているので、満たされた事が勝手に投影されていきます。
このブログを読んでああだこうだと考える事もありません、ただ文章が並んでいる、それだけです。
面白い記事だなと思えばそれもOKですし、くだらねーブログだなと思えばそれでもOKです、
面白いとかくだらねーとかは
全部「満たされた世界」=「自分」の投影ですから
何だって良いのです。ふと気が付くと、エゴ視点から見て幸せな状況になっています。
でもそれも、ふと気が付いた状況に対し、エゴがわざわざ「幸せ」と定義しただけの事で、
何の事はない、最初から幸せだったんです。PR