昨日も書きましたが、何者かが心の「声」を聞いているというのは結構ポイントです。
この「声」を音声処理する前、つまり得体の知れない「何か」が湧き上がって来る場所こそ、
本来の自分が居る場所です
(多分)この湧き上がってくる
「源泉掛け流し」に常に居る、ということは何か湧き上がってきたときに
最も適切な行動を取れるという事でもあります。昨日のボディワークの話で言えば、
重力を感じているからこそ、スポーツなどで、その場その場で適切な動作が取れるのと同じ理屈で
あります。
もちろんこの「適切な行動」とはエゴ視点から見た場合の話です。
実際は「行動している」とかいちいち判断しないでしょう、虎や熊に追いかけられたら何も考えずに
逃げるのと同じです。
源泉掛け流しに居るという事は、つまり心の声(らしきもの)を思考やエゴで肉付けする前の
段階に居るともいえます、つまり「もうだめだ」という
”言葉”は思考で「もうだめだ」と
「心で喋っている」と判断した時点で初めて「もうだめだ」となります。そしてエゴが「私」は「もうだめだ」とさらに判断し、ここで初めて
「私はもうだめだ」が
エゴにとっての「真実」となるわけです。
実際は「もうだめだ」は湧き上がった時点では
「%&#$=」みたいな記号というか、
発射される前の波動砲のようなものであります、それに思考が目に見えている状況やその他で
勝手に判断し、「これは、”もうだめだ”である」とし、それをエゴは「心の声」として
知覚するわけです。
しかし、源泉掛け流しに居れば
絶対の「真実」など無い事に気付けます。
全てのものは何だかわからないチャージ中の波動砲っぽいものだったのであります。
そこに居ることで初めて世界の創造というものを垣間見えるかもしれません。
ここまで読んで
「何を書いてるんだかさっぱりわからないなあー」と思えば
それが「真実」となっているでしょうし「よくわかった」と思えば、それも真実となり
「波動砲って何?」と思えばそれも真実となっています。
湧き上がってくるものに思考とエゴで勝手に肉付けしていただけったのであります。
そんなものに惑わされずに、「湧き上がってくるもの」そのものに目覚めれば良いのです。
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